天草(by 吉本隆明&小川国夫)

宗教論争

宗教論争

吉本隆明、小川国夫「宗教と幻想」*1(in 『宗教論争』、pp.56-105)からメモ。


小川 先日、ある雑誌の仕事で九州の天草へ行ってきたんですが、吉本さんは、おうちが天草のご出身ですよね。
吉本 ええ、ぼくの両親のときに天草から東京の月島に出てきまして、ぼくはそこで生まれましたから、天草へ行ったのはほんの一、二度きりですが。
小川 長崎近くの港から渡るつもりだったんですが、乗り遅れまして、島原半島の先端の口之津というところからフェリーで行ったんです。
吉本 天草に鬼池という港があります。鬼池のバス停のところに、地方に行くとよくありますよね、タバコやその他いろいろ売っている。その鬼池のバス停のところのお店屋さん、そこは母方の親戚で身内なんです。
小川 じゃあ、このあいだ見たばかりです。
吉本 天草は、キリシタンの地ということで小川さんも出掛けられたと思うんですが、じつは浄土真宗がとてもつよいところなんです。ぼくが行ったときも、おやじさんから、とにかくむこうに行ったら、まず挨拶をして次には仏壇を拝ましてくれって言わなきゃだめだぞって、訓戒を受けたんです。たしかにどこのうちも分不相応なくらいに大きな仏壇を持っています。
どうしてそうかというと、いろんな人がいろんな説を言っていますね。転びバテレン浄土真宗になったという人もいますし、徹底的に行われたキリシタン弾圧のあと、残った人たちに対して幕府が意識的に普及させたからだという説もあります。
小川 天草でのバテレンたちの人気はどうかというと、いろいろあるんでしょうが、わるい場合が多かったようです。案内してくれた地元の人の話なんですが、たとえば山賊が出るとそれはキリシタンくずれの連中だというぐあいで、たいへん評判がわるかった。その人なども、最近、文士たちがバテレンものを書くのはけしからんと言っていましたが……(笑)。(pp.57-58)
「最近、文士たちがバテレンものを書くのはけしからん」云々ということだが、遠藤周作の紀行文『切支丹の里』が書かれたのは1970年代初頭ではなかろうか。
切支丹の里 (中公文庫)

切支丹の里 (中公文庫)

さて「故郷」に関して、吉本は「家・隣人・故郷」という小川国夫との対談*2で、「旦那」という言葉を使って、藤枝静男富士正晴を批判している(pp.38-39)。「旦那」というのがどういうことなのかというのはよくわからないのだが*3、その否定形について、吉本は、

(前略)小川さんは旦那でない。旦那でないということはどういうことかというと、別の言葉でいえば、故郷に住んでいて、作品を形成するということは、たいへん難しいことだと思うのです。これはそれこそ聖書のキリストじゃないけれども、故郷にいたら神通力がないわけですね。故郷にいれば、いや、あいつは要するに大工のなんとかの息子じゃないか。ヨセフの息子じゃないか、そういうふうに人を見る目が、故郷にはあるわけです。そこではどんな理念も、どんな方法も、どんな神通力も通用しない。だからたいへんそういうことは難しいことだと思うのです。そういう目を*4防衛する方法は、僕にはないように思うのです。(後略)(p.39)
と述べている。たしかに「故郷」でカリスマは機能し難いということは重要な宗教社会学的真理だとは思うけれど*5、それと「旦那」(or「旦那でない」)との関係はよくわからないのだった。

*1:初出は『野性時代』1974年11月号。

*2:Mnetioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130425/1366912936

*3:「故郷」との緊張関係の欠如?

*4:目から?

*5:麻原彰晃大川隆法が教祖としてブレイクするためには〈上京〉ということが必要だった。もし彼らがその「故郷」にずっと留まっていたら、オウム真理教幸福の科学も存在していなかったかも知れない。