Anna Louise Strong(リービ英雄)

我的中国 (岩波現代文庫)

我的中国 (岩波現代文庫)

リービ英雄『我的中国』*1からメモ。


延安の革命紀念館*2にも北京の歴史博物館や軍事博物館にも、革命に協力した外国人たちの写真がある。西洋人もいたし、アジア人もいた。
その中でアンナ・ルイーズ・ストロングという、まわりより背が高く、何となくたくましそうな、アメリカの女性作家が突出した印象を与えて浮き立っているのである。
大陸の「人民」が歴史の中で極端な弱者と化した頃にかれらのドラマにのめりこみ、まるでサヨクの宣教師のように毛主席という「救世主」の福音を世界に伝達しようとしたストロング女史。
アメリカの著名なジャーナリストが書いた中国革命史の中に、あの不思議なバアさんが脇役として登場してきた。その短いくだりを読んで、彼女のことを少し知ることができた。
(略)
延安の洞窟で毛沢東に長いインタヴューをし、そしてまた国民党が支配している北京にもどり、北京飯店の部屋に閉じこもり、The Thoughts of Mao Tse-tungという文章に毛主席のことばを英訳して、また外国に持ち出した。
一切の反動家は張子の虎に過ぎないという毛主席の名言は、paper tigerというストロング女史の英訳で世界に伝わることになった。
崩壊する寸前の中華民国のホテルの部屋で、赤い中国の熱心な翻訳家であるかのように、ストロング女史は延安で聞いたことばを次々と英訳した。(略)
毛主席から、外国へ出るとき、モスクワ経由で行かないように彼女は指示された。アメリカの著名なジャーナリストが書いた本によると、その理由を彼女は十分に把握できなかったという。スターリンは、東方に現われんとしている強力なライバルの勝利に対して複雑な懸念を抱いていたそうだ。
ストロング女史は、その指示を無視して、モスクワに渡った。ただでさえ被害妄想に陥りがちな独裁者の都は、緊張に満ち満ちていた。ストロング女史が書いた毛沢東の記事が、ソ連帝国に取りかこまれたばあkりの東欧諸国でも、「もう一つの共産主義」を暗示するアピールとして読まれていたという。
アンナ・ルイーズ・ストロングは、モスクワでも毛沢東のことを会う人会う人に話した。「東洋にはもう一人、もっとすごいのがいるわよ」とでも言ってしまったのか、スターリン政権の高官から、「お前は口が軽い、危険だから気をつけなさい」と注意されたらしい。
アメリカのジャーナリストに言わせると、スターリン毛沢東という二人のヘビー級の権力者の争いのはざまに入った彼女はover her headとなった、つまり力量の及ぶところではなかった、という。
彼女はそれでもスターリン帝国の京で、毛沢東のことを、喋りつづけた。そして挙句の果てに、「CIAのスパイ」として逮捕されて、収監された。数日経って、知り合いの助けを得て釈放されたが、そくざにソ連から追放されてしまった。
(略)男性のアメリカのジャーナリストの書き方には、家父長的なカリスマをもった二人の指導者の間に入ってしまった女性のナイーヴさというふくみ、ある種の軽視も感じられなくもない。
事件が収ってから何年か経って、ストロング女史は、「しかし毛のためには一苦労したわよ」とぽつりともらした。
Boy, did I do a job for Mao!
弱者を愛したストロング女史は、たぶん、アメリカの男性ジャーナリストがその文章の行間からほのめかした通り、本質的は「権力」というものを理解していなかっただろう。しかしそのことは、今から二十世紀の権力争いという暗澹たる歴史を振り返ると、かえってまともに見えるのではないか。
延安に渡り、毛沢東の伝達者となったあのバアさんは、ソ連共産党からも、中国共産党からも、アメリ共産党からも、入党を断られた。入党を断られた理由は、いずれも「奇人だから」ということだった。(pp.111-114)
Anna Louise Strongについては、


http://en.wikipedia.org/wiki/Anna_Louise_Strong
http://www.marxists.org/glossary/people/s/t.htm#strong-anna-louise
http://www.nebraskahistory.org/publish/publicat/timeline/strong_anna_louise.htm


また、http://www.marxists.org/reference/archive/strong-anna-louise/から彼女のテクストの幾つかが読める。