Thomas S. Mullaney Coming to Terms with the Nation

Coming to Terms with the Nation (Asia: Local Studies / Global Themes)

Coming to Terms with the Nation (Asia: Local Studies / Global Themes)

Thomas S. MullaneyのComing to Terms with the Nation: Ethnic Classification in Modern China(University of California Press, 2011)を読了したのは既に1か月以上前のこと。忘れないうちにメモ書きをしておく。


List of Illustrations
List of Tables
Foreword (Benedict Anderson)
Acknowledgments


Introduction
1. Identity Crisis in Postimperial China
2.Ethnicity as Language
3. Plausible Communities
4. The Consent of the Categorized
5. Counting to Fifty-Six
Conclusion: A History of the Future


Appendix A: Ethnotaxonomy of Yunnan, 1951, According to the Yunnan Nationalities Affairs Commission
Appendix B: Ethnotaxonomy of Yunnan, 1953, According to the Yunnan Nationalities Affairs Commission
Appendix C: Minzu Entries, 1953-1954 Census, by Population
Appendix D: Classification Squads, Phases One and Two
Appendix E: Population Sizes of Groups Researched during Phase One and Phase Two
Notes
Character Glossary
Bibliography
Index

この本では1954年に行われた中国雲南省における「民族識別工作」が論じられている。1951年に、中華人民共和国政府は建国5周年の1954年に「全国人民代表大会」を招集することを宣言した。そのための「選挙法」では、非漢族(少数民族)にはひとつの民族に最低1議席以上の代表が確保されることになっていた(pp.18-19)。しかしそのためには、民族毎の人口が確定されなければならない。ということで、1953年に人口普査(国勢調査)が行われ、各人は自らの民族帰属を選択肢から選ぶのではなく自由回答で申告することになった。その結果、中国全土で400以上、雲南省だけで200以上の「民族」が出現してしまった(p.34)。この〈混乱〉を収拾するために、民族学者や言語学者が各地に送られ、「民族識別」工作が1954年に行われた。この工作の結果、〈56の民族からなる多民族国家〉という現代中国の国家像の基礎が構築されたわけだ。本書では、雲南省における「民族識別」工作の実態が、当時実際に「識別」のためのフィールドワークに従事した学者たちへのインタヴューを通じて再構成されている。
この本の構成を大まかに述べると、第1章では「民族識別」の歴史的前提が叙述される。清朝末期における「民族」概念の中国への導入*1。国民党と共産党の「民族」観の違い。1953年の人口普査。第2章で論じられるのは、「民族識別」において参照されたモデルが20世紀初頭の英国殖民地官僚だったHenry Rodolph Daviesによるものだったことである。曰く、”Whereas conventional accounts of China's Ethnic Classification are quick to point out its political and methodological affinities with that of the Soviet Union, here we find much stronger ties to British colonial practice―particularly in its reliance on a mode of ethnic categorization derived from historical linguistics and, most importantly, its direct, genealogical connection to the scholarship of H. R. Davies.”(pp.65-68) Daviesは「基本語彙」の比較、それらの一致と差異に基づいて、自らが雲南で出会った諸集団を分類していった(p.48ff.)。第3章で問題になるのはスターリンによる「民族」定義である。スターリンによれば、資本主義以前の社会には「民族(natsiia/nationality)」は存在しない。そこでスターリンのいうあらゆる発展段階を包括する「非歴史的な包括用語(ahistorical umbrella term)」である”the potential for full-fledged nationality or ethnicity”としての「民族集団」が考案され(p.83)、さらに「集団」が省略され「民族」に戻されることによって、スターリンの「民族」定義ははぐらかされてしまった(p.84)。第4章では、Daviesの比較言語学的方法、またスターリン「民族」論の改作に基づき、雑多な諸集団が如何にして(現在存在しているような)「民族」*2へと整序されていったのかが、特に「彝族」を例にして再構成されている。「民族識別」工作は同時に特定の「民族」としてカテゴライズされる当事者への「説得(persuasion)」工作でもあった。このような調査/説得の方法に関して呼び出されたのは、「アマチュア社会学者」、社会学的フィールドワーカーとしての毛沢東である。特に彼がその「湖南農民運動報告」で用いた「グループ・インタヴュー」(「調査会」)(pp.96-98)。第5章は「民族識別」を通じて確定した〈中国=56の民族からなる多民族国家〉という国家像が自然化・自明化されるプロセス。
本書を読んでわかったことのひとつは、「民族識別」工作が省毎にほぼ独立して行われ、中央レヴェルにおける(省を超えた)統一的な調整がなかったということである。少なからぬ「民族」は省を超えて居住している。そのような集団に関して、例えば貴州省や廣西省の調査ティームが雲南省の調査ティームに自分たちの分類法を採用するように意見を述べるということはあったが、それを受け入れるかどうかは省レヴェルの判断に委ねられていた。その結果として、同じ〈民族〉が省によって全く異なるカテゴリー化を受け、別「民族」になってしまうということも起こった。これに関しては、Stevan Harrell Ways of Being Ethnic in Southwest China*3でNazeと自称する集団とPrmiと自称する集団が四川省雲南省とで全く別の「民族」になってしまったことが論じられている。また雲南少数民族は自らの「民族」性に関して、一方的にカテゴリー化され・説得される受動的な存在であるかのように見えるということもある。しかしHarrellの本では、カテゴリー化の対象となる集団(のボス的存在)がカテゴリー化する側の共産党政権に積極的に働きかけ、カテゴリーに影響を与えた事例も報告されている(Prmiの例)。
Ways of Being Ethnic in Southwest China (Studies on Ethnic Groups in China)

Ways of Being Ethnic in Southwest China (Studies on Ethnic Groups in China)