既に高木さんも嘆いていた筈だが

『読売』が「原子力人材確保 「脱原発」からの決別が急務だ」というタイトルの社説を出したそうな*1。但しこのタイトルは羊頭狗肉だろう。こんなタイトルを掲げて、『読売』は無用な敵意を喚起してしまうんじゃないだろうかと老婆心も起こるのだが、きっとこうした〈羊頭〉に魅力を感じる読者層も少なくないのだろう。
さて「東京電力福島第一原子力発電所の事故後、原子力を学ぼう、という学生が減った。原子力関連産業への就職も敬遠されている」という『読売』論説委員の認識だが、この社説を紹介する古寺多見氏も指摘するとおり、これは全然違う*2チェルノブイリを契機として東大工学部原子力工学科の人気が「暴落」したのかどうかは審らかではないのだが、少なくとも人気が落ちたこと、1994年には学科名も「原子力」の抜けた「システム量子工学科」になってしまったことは事実。2000年の東海村事故を契機に書かれた故高木仁三郎の『原発事故はなぜくりかえすのか』*3でも原子力工学原子力産業の斜陽ぶりを嘆く一節があったと思う。勿論チェルノブイリのショックだけではなく、例えばバブル期には工学系の学生でも金融などの文系志向が高まった頃、或いはその後工学部でもコンピュータ・サイエンスとかナノ・テクノロジーといった他の分野の魅力が高まったことなども関係しているのだろう。読売社説のタイトルに戻れば、「原子力人材確保」のために脱「脱原発」しなければいけないということではないだろう。寧ろ「原子力人材確保」をしたければ、「脱原発」のための原子力工学、ダウナー系技術としての原子力工学を掲げるべきなのだ*4

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

さて井口和基絡みで天羽さんに教えていただいたのだが*5


http://www.news-us.jp/article/262861588.html


はけっこう凄い。それにしてもこういう人たちのテクノロジーに対する無限ともいっていい信頼はどうなのだろう。Timbuk 3の歌詞を借りれば、”The future's so bright./I gotta wear shades”! 「原子力ムラ」や読売新聞に希望を少し分けてあげてよ! ということになる。

Greetings From Timbuk 3

Greetings From Timbuk 3

井口和基については天羽さんのhttp://d.hatena.ne.jp/AmahaYui/20120408/1333882854もマークしておく。