承前*1
三宅勝久「「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染」http://www.mynewsjapan.com/reports/1437
残念ながらサワリの部分とダイジェストしか読めない。全部読みたいなら金を払えということことだが、金を払ってまで読むに値するかどうか、費用対効果は低いと思う。
タイトルやここだけ読むと、〈原子力村〉は司法界まで殖民地化している、これは大変だ! ということになる。しかし、ちょっと考えるとこれは短絡的なんじゃないかと思える。この味村治という奴が最高裁判事として〈原発にやさしい〉判決を相継いで下したのが1992年で、東芝の「社外監査役」になったのが1998年(「社外監査役」を2年間務めた後、本人は2003年に死去している)。時差は6年、ちょっと間が空きすぎなのでは?
四国電力伊方原発と東電福島第二原発の建設許可取り消しを求めた2つの裁判で、原発の安全性にお墨つきを与える判決を下した最高裁判事が、米国GE社と提携する原発メーカー「東芝」の役員に天下っていたことがわかった。判決があったのはチェルノブイリ原発事故から6年後の1992年のことで、脱原発の声を封じて原発ラッシュの流れをつくる一大転機となった。裁判官と原発産業の生臭い関係に、原発の危険を訴えてきた地元住民は絶句する。「司法よ、お前もか ――」
こうやって「原発マネー汚染」を煽り立てることによって、さらに根本的であろう(少なくとも)2つの問題が隠蔽されてしまうのではないかと思う。
先ずは、原発に関係しているか否かを問わず、大企業が司法界の大物の天下りを受け入れることの是非。
また、そもそも裁判官に原発問題について適切な判断を下す資質(能力)があるのかどうかという問題。味村に限らず、裁判官というのは原発問題については素人である。何しろ、司法試験には原子力工学や核物理学や核化学の問題はないのだから*2。つまり、原発についての裁判官の知識というのはそこらの一般大衆と大して変わらないわけだ。それ自体は責められることではない。というか、だからこそ、専門外の、自分がよく知らないことについて適切な判断を下す判断力、その判断力を支えるcommon senseが問題になる。故味村を初めとする裁判官たちは十全なcommon senseを有しているのか。この点に関しては、故味村に限らず、不信感を持っているということは申し述べておく。判決を言い渡した後に裁判長が被告に人生訓を垂れるということがメディアによって報道されるということもあるが、その殆どは一定の教養や趣味を持った人にとっては、軽く嘲笑するという以外の反応はできないようなものなのだ。
判断力について、ここでは取り敢えずElisabeth Young-Bruhl Why Arendt Mattersの第3章”Thinking about The Life of Mind”をマークしておく。
Why Arendt Matters (Why X Matters Series)
- 作者: Elisabeth Young-Bruehl
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