原子力≠発電だった時代

ミズラモグラさんのご教示により、「日本共産党(左派)」*1の機関紙『人民の星』の「1950年代の科学者 原子力研究に反対 米国の「平和利用」あばく」という記事を読む*2。この記事は1950年代から既に原子力=発電ということが確定していたという前提で書かれていると思われた。しかし、実際はどうだったのか。
原発事故はなぜくりかすのか』*3で、高木仁三郎さんは自らが1961年に「日本原子力事業」に入社した頃のことを語っている;


当時のことを振り返ってみると、いったい我われは何をやったらいいのかということが全然わかりませんでした。ただ、研究所をつくる、そこに原子炉を作る、そのまわりの仕事をまず皆がやる、ということでスタートしたのです。会社の上のほうの人たちにはそれぞれ思惑があったのかもしれませんが、下のほうにいる人間に関して言えば、そういう思惑も聞かされていないし、とにかくこれからはだんだん原子力の時代になるだろうという漠然とした期待はありましたが、今ほどに、たとえば軽水炉を中心とした原子力発電が主流になり、その原子力発電所を中心にして原子力産業というものが形成されてくる、なとというように考えていたわけではなかったのです。
原子力というのは、もう少し広い原子力文化というものが成立するすそ野の広がりを持っているのではないか。そのように考えられていました。つまり、発電だけの形態であるならば、原子力文化などというものは存在しません。発電工学のそのまたごく一部ということになってしまうわけですけれども、もっといろいろな活用ができるのではないかというように当時は考えられていた部分があるのです。たとえば原子力製鉄というような形で、製鉄にも原子力が使えるのではないか。原子力船ということで、船にも原子力が使えるのではないか。さらには飛行機にも原子力が使えるのではないか、などと考えている人もいました。また、動力としての原子力というのは、そのとき考えられていたうちの半分くらいで、非動力的な利用ということも相当考えられていたのです。たとえば放射性物質を医療に利用するとか、それは今でも多少行われていますが、もっとも今よりはるかにいろいろな用途が語られていました。
(後略)(pp.27-29)
原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

吉岡斉原子力の社会史:その日本的展開』という本*4、入手困難で、「古書としてかなり高価でなければ入手できない」のか*5