1981年のGNP

アジア文化圏の時代―政治・経済・文化の新たなる担い手

アジア文化圏の時代―政治・経済・文化の新たなる担い手

レオン・ヴァンデルメールシュ『アジア文化圏の時代』(p.12)から1981年の亜細亜各国の1人当たりGDP(米ドル);


日本 9008
シンガポール 5302
香港*1 4980
台湾 2334
韓国 1671
北朝鮮 810
中国 300


意外なことにこの時代、北朝鮮は中国よりも2倍以上豊だったことになる。それから30年経って、金正日が死んだ直後に*2にこの数字を見るというのも何だか感慨深いところがある。
この本の仏蘭西語原著が出たのは1986年だが、著者の北朝鮮への評価はけっこう高い。「漢字文化的環境の状況は、どんな体制のもとであっても、当該の体制が南京政府の無能力に落ち込むとか、中国の超左翼とか日本の極右とかの無分別に走らない限り、経済的発展にとって例外的に有利なのである」(pp.29-30)という前提の下で、以下のように述べられている;


(前略)「主体」思想体系という全世界で最強度の全体主義体制の持つ嫌悪すべき点を何ら正当化するつもりはないが、北朝鮮の経済的成功を高く買わないわけにはいかない。細心さの欠如のため北朝鮮国民たちは確かに悪評を受けており、彼らは現に自国の外国負債を未償還のまま放置し、無一文の自国外交官たちに密貿易の小利益で経費を賄わせたりしているが、それにもかかわらず、北朝鮮の経済は目覚ましく発展した。この国にとっては、漢字文化圏のすべての国々のうち最も弱い人工的圧力(一九八三年度において、千九百万の住民で、山岳地帯が多いとはいえ、十二万三千平方キロメートルの国土)と豊富な炭坑、鉄坑および諸非鉄金属資源が有利であった。しかし、北朝鮮が受けた唯一の国外財政援助は中国からのものであり、それもこの国の極めて凡庸な能力が原因で非常に限られていた。それに主体のイデオロギーは自給自足を称揚し、平壌の指導者たちは社会主義陣営内部における分業を最初から拒否した。それは北朝鮮ソ連の援助を受けずに自国固有の産業の確立を決意したことを意味する。また北朝鮮は自力で自国の機関車、ブルドーザー、船舶を製造できるに至り、この意図を達成した。ところで、余りにも僅かな情報しか外部に漏れて来ないので北朝鮮の成長を十分な確実さで計算することはできない。日本人専門家は国民総生産・一人当たり所得を一九六〇年度百二十米ドルと評価していること、一九七九年度の所得については、北朝鮮の権威者は千九百二十米ドルという数字を提供し、韓国人は八百十米ドルと言っていることを取り上げておこう。朝鮮戦争後の三十年間の成長率は多分一年ごとに五から七%の変動幅の間に位置していたとされてよいであろう。(pp.30-31)
因みに、「漢字文化圏」は訳者福鎌先生による意訳。原文はLe monde siniseで、直訳すれば「中国(シナ)化された世界」(「解説」、p.270)。