「記憶喪失」?

「311が終止符を打った「反原発=左翼」の図式」http://satoshi.blogs.com/life/2011/08/sayoku.html


これも田口洋美氏いうところの「集団記憶喪失」の一例*1なのだろうか。
「日本では、3月11日を境に色々なものが大きく変わったが、そのうちの一つが「反原発=感情的な共産主義」「原発推進=理性的・合理的な経済発展重視主義」という図式」。これが事実認識として妥当かどうかということについては、拙blogの日本共産党原発に対するスタンスの変遷についてのエントリー*2、或いは別エントリーにおける社会主義協会(向坂派)の原発へのスタンスに言及した箇所*3を参照していただきたい。
どうしてこのような言説が出てくるのか。その理由のひとつとして考えられるのはやはり311の衝撃の強さということがあるのだろう。勿論1970年代以来各地で反原発運動は地道に続けれていたわけだし、〈赤い原発〉が吹っ飛んだチェルノブイリのような海外の事故はさて措くとして、国内に限っていっても、例えば1999年には茨城県東海村のウラン加工施設で臨界事故が起き、ニュースの焦点になった*4のだが、世間的にはやがてそのほとぼりも冷め、或いは(原発以外で)新しい事件や事故も起きたりして、みんなまた原発についてはあまり語らなくなってしまったということなのではないか。実際、左翼であろうがなかろうが、原発についてみんなが大いに語り出したのは311以後なのだ。311以前に原発に拙blogで言及したのは、瑞典原発事故に関する2006年8月の記事*5地球温暖化論は原子力推進勢力の陰謀だという植草一秀の妄言をおちょくった2009年12月の記事*6くらいしか記憶がないのだ。

ところで、ビートルズ以前のポップス体験を忘却するという「団塊の世代」の記憶のあり様(金井美恵子『目白雑録2』、pp.202-204)*7も「集団記憶喪失」の一形態か。

目白雑録 2 (朝日文庫)

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