526と260の間

承前*1

新華社「国産電影一年526部、半数”蒸発”?」『東方早報』2011年3月5日


2010年に中国大陸で制作された劇映画は526本で、これは印度と米国に次ぐ。しかしながら、映画館で上映されたのはその約半分の260本でしかなく、しかも「影院一日游」(映画館日帰り旅行)と称される1日または2日しか上映されなかった作品も大量にある。また、中国の映画館情況だが、2010年には銀幕が1533塊増加している*2。しかし、米国では人口8000人に対して銀幕1塊、韓国では2万に対して1塊なのに対して、中国では10万人に対して1塊、全国で映画館が最も多い北京でも3.4万人に対して1塊でしかない。映画の「蒸発」現象は先ず銀幕不足によって説明されることになる。また、映画館側の選択が大スターが出演し、大量宣伝を行う大作に偏っていることにその責任を帰す意見がある。それによって、若手監督のマイナーな作品は排除されてしまう。他方で、これを市場経済における自然で健全な「淘汰」であると容認する見方もある。また、今後映画館に代わってTVの映画専門チャンネルが重要になるという見方もある。映画専門チャンネルは番組(ソフト)不足に悩んでいる。
さて、中国の映画産業の情況を紹介した村井寛志さんの


「中国の映画産業(1)「賀歳需要多少影片?(お正月はどのくらい映画が必要?)」http://d.hatena.ne.jp/murai_hiroshi/20110101/1293903079


を読む。
曰く、


 1990年代後半、グローバリゼーションの煽りで、世界の映画がハリウッドに席巻され、多くの国の映画館でローカルな映画が上映できなくなり、映画の多様性が危機に瀕しているといった声がよく聞かれたように記憶しているが、実際は、2000年代は韓国でも日本でも映画産業はむしろ盛んになったように思う。

 インディペンデント映画に関しては、特にドキュメンタリーに関してはデジタル・カメラの普及とかで、低予算で面白い作品が多数撮られるようになったという印象がある。中国の場合、規制さえ緩和すれば、インディペンデント映画にはまだのびしろがあるように思う。

 とはいえ、日本でもミニシアター文化は若い世代に引き継がれず、ミニシアターの閉鎖も多いので、楽観視はできないが。

インディペンデントやドキュメンタリーに関しては話が別で、上映の場所としては、クラブ、カフェ、美術館や画廊が中心になるかと思います。また、上海などでは、外国政府機関(例えばブリティッシュ・カウンシル、アリアンス・フランセーズ、ゲーテ・インスティチュート)が重要な役割を果たしている。
日本映画についての「楽観視はできない」情況に関して、以前ダウンロードした記事;


長野辰次「「作品」を「コンテンツ」と呼び始めた邦画界 "お蔵入り映画"が続出する杜撰な内情」http://www.cyzo.com/2011/01/post_6279.html
長野辰次「"製作委員会"映画の悪しき構造欠陥を行動的評論家・江戸木純が一刀両断!」http://www.cyzo.com/2010/07/post_5097.html


ところで、中国のドキュメンタリー映画に関しては、


Chris Berry, Lu Xinyu, Lisa Rofel (eds.) The New Chinese Documentary Film Movement: For the Public Record Hong Kong University Press, 2010


という本が出たようですね*3

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110228/1298917707

*2:日本語だと、銀幕を数える単位は枚でいいの?

*3:See also Nicola Davison “China's documentary movement” TimeOut Shanghai March 2011, p.59