「平和運動をやっている人の戦争アレルギーはいかがなものか」http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20110109/1294549233
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101215/1292383373で引用した殆どお笑いの域に達している某左翼党派の言説と比較して、くすくす笑ってしまった。
曰く、
サンプルが1件というのもちょっとアレだとは思う。「マルクス主義系の運動」といってもどこの党派なのかはわからない。この後に続く記述によれば、日本共産党系の人であると想像はできる。まあ、新左翼系の人は「反戦」とはいっても「平和運動」という言葉は殆ど使わないのだろうけど。
一昨日、仕事の関係で平和運動の中の人(50歳代くらい)とおしゃべりする機会があり、びっくりしたことがあった。「軍部の暴走」ってよく言われるけれど、大日本帝国軍隊の指揮命令系統ってどうなってたんだ、という話になったわけですよ。で、まず驚いたのは「大本営」ってどんな仕組みなのか、彼は知らない。「そんなこと興味ない」って言う。えっ、じゃあなんで「軍部の暴走」ってアナタは言えるの? と不思議でしょうがいない。
で、いろいろと話すうちに、僕の方からクラウゼヴィッツの「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」というテーゼを紹介したところ、「それは戦争賛美だ! 戦争は戦争だ。アジアの人たちがどんなに悲惨な被害を受けたのか!」と激怒された。なんでこーなるの?
一応マルクス主義系の運動の人なので、レーニン先生が『社会主義と戦争』というパンフレットでクラウゼヴィッツについて書いていますよ、「プロレタリアの軍事綱領」では「プロレタリア子弟は軍事を学びなさい」とも言ってるし……などと紹介するも、頑として受け付けない。別に軍オタになれといってるわけではないんだが、「反戦」とかいってるんならもうちょっと「戦」の方を知ってたほうがよいのではないの?
さて、制度(国家暴力装置*1)としての軍のメカニズム、また戦争を巡る政治的・経済的布置を理解することを拒んだ上で、「戦争」に関心を持つとしたら、戦争の技術的側面にのみ興味を抱く所謂「軍オタ」の道をゆくか、或いは〈邪悪な心〉が戦争を起こすというノリになるのだろう。また、「議会主義に純化した」からといって「軍事」に無知・無関心でいいわけいいわけではない。政権与党になったら、自衛隊という暴力装置をコントロールするという責任が生じるんだよ。共産党が政権与党になる気があるのかどうかはわからないけれど、社会党(社民党)は既に首相も出している。その時に社会党がどうだったかといえば、社会党独自の軍事政策を打ち出すわけでもなく、それまでの主張を引っ込めて、それまでの政策を丸呑みすることしかできなかったわけだ(See 山口二郎『日本政治の同時代的読み方』、p.12*2。
- 作者: 山口二郎
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