イスタンブール、ニース、ミュンヘン(メモ)

取り敢えずメモ。

川上泰徳「トルコ非常事態宣言 民主主義の終わりとエルドアン体制の混迷への懸念」http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawakamiyasunori/20160721-00060228/


土耳古のクーデタ失敗後*1の体制(Recep Tayyip Erdoğan大統領)側からの粛清の嵐について。


軍の一部によるクーデター未遂事件が起きたトルコで、エルドアン大統領が3カ月間の非常事態を宣言した。大統領は勅令によって基本的人権を制限することも可能となる。既に政府は6000人以上の軍人を逮捕し、政権に批判的な宗教指導者ギュレン師の支持者と見られる公務員5万人以上を解任や解職にするなど大規模な粛清を進めている。

クーデターに乗じて一気に軍を抑え込み、反対派を排除して権力を強化する狙いと見られる。しかし、国民が政府支持と政府反対で分裂し、状況が不安定化、流動化する恐れも出てくる。民主主義によって支持を広げてきたエルドアン大統領にとっては体制の正統性の基盤である議会政治や民主主義を自ら放棄することになり、トルコ政治の真の混迷も始まりとなるかもしれない。

非常事態宣言についてエルドアン大統領は「国家に対する脅威を排除するためである。民主主義と法の秩序と権利と自由に対する脅威だ」と演説した。直面しているテロの脅威に対抗するために必要な措置をとる目的だ」とも語った。この場合の「テロ」というのは、「テロ組織」に指定している「ギュレン運動」のことを指すと理解されている。


非常事態宣言は憲法では「最大6か月」とされるが、政府の要求によって、「最大4か月」の延長が可能とされている。中東では「期限付き措置」として始まったことが何年も続くのが普通である。エジプトでは1981年のサダト暗殺後に発令された非常事態は、エジプト革命ムバラク大統領が辞任した後の2012年まで30年以上続いた。エルドアン大統領が、トルコで軍クーデターの可能性がなくなり、ギュレン運動の影響力を完全に排除するまで「危機は終わらない」と考えるならば、今回のトルコの非常事態令も、延々と延長される可能性がある。

国民の多数の不満が強まれば、エルドアン大統領はさらに強権を使って批判を抑え込むしかなくなる。その結果、「アラブの春」で倒れた強権独裁者の運命をたどることになるかもしれない。または、新たな軍のクーデターの試みが起こるかもしれない。それを抑えるために、エルドアン大統領はさらに反対派の声を強権で抑える手法をとるしかなく、非常事態宣言はなくてはならないものとなるだろう。

川上泰徳「ニース事件の教訓 間違った対IS攻撃がテロを世界に蔓延させる」http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawakamiyasunori/20160716-00060045/


ニースのトラック暴走事件*2の直後、仏蘭西のオランド大統領はISISに対する空爆の強化を宣言した。しかし、「現在のISへの軍事攻撃は、ISに影響されたテロを抑え込むことにつながっていない」。「いまのような軍事的IS対応では逆に世界中でテロが蔓延することになりかねない」。まあ言っていることは間違ってはいないとは思うけど、その一方でちょっと焦点がずれているんじゃないかとも思った。ニースの事件、或いは少し前の米国フロリダ州オーランドの事件*3などを見ると、シリアやイラクの問題というよりは仏蘭西や米国の問題というような気がする。仏蘭西や米国において、如何にしてムスリムへの差別や偏見と戦い、ムスリムを社会に統合していくのかという問題。特に、仏蘭西イスラーム圏であるマグレブ諸国を殖民地支配していたわけで、殖民地主義の清算の徹底という問題と関連する。差別や偏見から産出される不満分子にとってISISのような存在は或る種の精神的後ろ盾として機能するといえる。その結果、インターネットを通じて、突如〈ジハード主義者〉として覚醒してしまうというのが増えるのでは? 
さて、独逸ミュンヘンのショッピング・モール銃撃事件*4は、宗教とか民族とかを超えて、多くの人々にもっと身近なこととして感じられる可能性がある;


Janek Schmidt, Kate Connolly and Emma Graham-Harrison “Munich shooting: killer was bullied teen loner obsessed with mass murder” https://www.theguardian.com/world/2016/jul/23/munich-shooting-loner-facebook-ali-sonboly-bullied-killer


犯人のAli Sonbolyは内気で孤独ないじめられっ子だった。また、諾威の極右テロリストAnders Behring Breivik*5を初めとする大量殺戮にオブセッシヴな関心を抱いていた。