ぜう/じゃう

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110109/1294578054に対してコメントをいただく;


秋菊 2011/01/09 22:30
東京ではミニスカート+今は冬なので膝丈ブーツ(ヒール付)の子はつけまつげもばっちりの「盛った」女の子たちが多いです。ミニスカートだけではなく、ホットパンツ、ショートパンツも多く見ます。ギャル系は真冬でも露出多くて盛るのが美学みたいです。
新年の地元神社の屋台で働いている女の子たちが、そろいもそろってそういうギャルたちだったので、なかなか楽しかったですw
一定の階層や文化に根ざしたファッションだとすると、これに「売春婦」のレッテルをつけて排斥を促すような言動には違和感を覚えますね。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110109/1294578054#c1294579851
どうもご報告ありがとうございました。そういえば、「森ガール」*1というのも「一定の階層や文化に根ざしたファッション」であるわけですね。また、最近私の音楽の趣味が「森ガール」ならぬ〈森ボーイ〉と化して、フォーク系に傾いているなということにも気づいた。
それはともかくとして、梶川幸子広島県議の発言に「80年代、ブランド品を身につけるお嬢様ファッションがブームだった時代、日本はハイ・クラスを国民も無意識にイメージしていました」というのがある*2。それに関連して、

バブルのころはいわゆるお嬢様ファッションが流行ってたけど、あの当時の高級品嗜好というのは、あぶく銭がいろんなところに流れて、成金ぶりっこをしてみせないと見下されて不利になるからという傾向が広範囲で出てきた上でのこと。ミス・ミナコ・サイトーなんてのが、あのころの頑張り屋さんの中流出身者を象徴していたのではなかったか。
http://d.hatena.ne.jp/nessko/20110105/p2
という発言あり。「ミス・ミナコ・サイトー」がブレイクしたのは(俺の記憶によれば)「バブル」が終わった90年代。また、「バブル」と「お嬢様ファッション」というのはそれほど結びつかない。その頃、ファッショニスタはアヴァンギャルドなデザイナー・ブランドを身に着け、キャリア・ウーマンは肩パットをつけてつっぱり、イケイケ系はボディコン・スーツという感じだったのでは? ただ、1988年辺り、つまり昭和天皇の危篤そして死去、昭和から平成への替わり目辺りから、意識の保守化が起こり、リスキーなファッションよりも手堅く・わかりやすい所謂〈ラグジュアリー・ブランド〉が人気を集めるようになったということがあり、当時田中康夫も『朝日ジャーナル』のコラムでそのことを指摘していたと思う。その傾向がさらに進むのは90年代で、まるで18歳以上の日本人女子は1つ以上のルイ・ヴィトンのバッグを所有することが法律で義務付けられているかのように、誰もがルイ・ヴィトンを持つようになった(See 三田村蕗子『ブランドビジネス』)。俺が「お嬢様ファッション」という言葉をよく耳にするようになったのはそうした傾向が頂点に達し、その一方でユニクロを着ることが国民的義務にそろそろなるかなという頃だった。それで、「お嬢様」というのはMax Mara*3を着るというイメージがあるのだが。
ブランドビジネス (平凡社新書)

ブランドビジネス (平凡社新書)

さて、バブルの頃には既に〈おぜう様〉と〈おじゃう様〉の区別があったのだが、記号としての「お嬢様」は「バブル」以前の筒見待子という女性*4吉行淳之介の小説に因んだ「愛人バンク」というビジネスを始めてマス・メディアの寵児となった1980年代初頭に遡ると思う。 
夕暮まで (新潮文庫)

夕暮まで (新潮文庫)