芥川龍之介『上海游記・江南游記』

上海游記・江南游記 (講談社文芸文庫)

上海游記・江南游記 (講談社文芸文庫)

芥川龍之介『上海游記・江南游記』*1を先日読了。


上海游記
江南游記
長江游記
北京日記抄
雑信一束
[参考資料]「支那游記」自序


解説(伊藤桂一
年譜(藤本寿彦)
著作目録(藤本寿彦)

1925年に『支那游記』として刊行されたもの。PC上の配慮でこのタイトルになったか。
「江南游記」は杭州、蘇州、鎮江、楊州、南京を訪ねる。「長江游記」では、上海から蕪湖、九江、さらに漢口まで長江を遡り、廬山に登る。
まあmatsuiismさんの筆法に従えば、芥川は「匂い」への感受性において開高健に及ばないということになるか*2榎本泰子『上海 多国籍都市の百年』*3では、芥川の「上海游記」と村松梢風『魔都』を比較して、「上海游記」では「上海の「図々しい」乞食や、「不潔それ自身」の車夫や、城内に立ちこめる「尿臭」がことさらに取り上げられているのとは対照的」に、「「西洋」であると「支那」であるとにかかわらず、あるがままの上海の姿を受け入れ、街の空気に同化していくような、柔軟で好意的な態度が村松の作品には際立っている」と評されている(p.172)。その一方で、芥川は例えば奉天にて「丁度日の暮の停車場に日本人が四五十人歩いているのを見た時、僕はもう少しで黄禍論に賛成してしまう所だった」と呟いている(「雑信一束」、p.204)。
上海 - 多国籍都市の百年 (中公新書)

上海 - 多国籍都市の百年 (中公新書)

ところで、芥川が杭州の西湖*4にて不図〈反米主義〉を吐露してしまう箇所をマークしておく;

(前略)西湖は思った程美しくはない。少なくとも現在の西湖なるものは、去るに忍びざる底のものじゃない。水の浅い事は前にも云った。が、その上に西湖の自然は、嘉慶道光の諸詩人のように、繊細な感じに富み過ぎている。大まかな自然に飽き飽きした、支那文人墨客には、或は其処が好いのかも知れない。しかし我々日本人は、繊細な自然に慣れているだけ、一応は美しいと考えても、再応は不満になってしまう。が、もしこれだけに止まるとすれば、西湖は兎に角春寒を怯れる、支那美人の観だけはある筈である。処がその支那美人は、湖岸至る所に建てられた、赤と鼠と二色の、俗悪極まるべき煉瓦建の為に、垂死の病根を与えられた。いや、独り西湖ばかりじゃない。この二色の煉瓦建は、殆大きい南京虫のように、古蹟と云わず名勝と云わず江南一帯に蔓った結果、悉風景を破壊している。私はさっき秋瑾女史の墓前に、やはりこの煉瓦の門を見た時、西湖の為に不平だったばかりか、女史の霊の為にも不平だった。「秋風秋雨愁殺人」の詩と共に、革命に殉じた鑑湖秋女侠の墓門にしては、如何にも気の毒に思われたのである。しかもこう云う西湖の俗化は、益盛になる傾向がないではない。どうも今後十年もたてば、湖岸に並び建った西洋館の中に、一軒ずつヤンキイどもが酔払っていて、その又西洋館の門の前は、一人ずつヤンキイが立小便をしている、――と云うような事にもなりそうである。(pp.91-92)
さて、芥川は上海で京劇を観て、北京で「昆曲」を観ている(「北京日記抄」、p.187ff.)。これにはくすくす笑ってしまった。逆だろう。