国定忠治

『読売』の記事;


あの国定忠治、評価二分で地元イベント中止


ばくち打ちか、窮民救済の義侠(ぎきょう)の徒か――。今年で生誕200年を迎えた江戸時代の侠客(きょうかく)・国定忠治を巡り、出生地の群馬県伊勢崎市で議論が起こっている。


 5月に予定していた記念イベントは、市側が待ったをかけて中止となる一方、観光関係者や郷土史家からは街おこしにつなげようと再評価の声も広がっている。

 記念イベントは、市観光協会と愛好家らで作る「いせさき忠治だんべ会」の共催で、忠治の遺品展や郷土史家による講演会などを企画していた。

 ところが、五十嵐清隆市長が「忠治は歴史的に評価が分かれている」と開催に難色を示し、中止となった。以前に、忠治のトレードマークの三度笠(がさ)とカッパをあしらった市の案内板を見た市民から「伊勢崎はヤクザの街か」と苦情も寄せられていた。五十嵐市長の判断に市民から支持する声も上がる。

 一方、忠治だんべ会を主宰する桜場弘美さん(55)は「街を盛り上げようと企画したのに」と肩を落とす。会の活動も中断したままだ。市観光協会の小杉英雄副会長(68)は「市から補助金を受ける立場で、意向を無視できない」と話す。忠治をイメージした携帯電話ストラップの製造も中止した。

 侠客の清水次郎長の地元・静岡市では「全国的に抜群の知名度がある」として次郎長の生家に補助金を出し、観光に活用している。
(2010年11月22日12時39分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101122-OYT1T00552.htm

「窮民救済の義侠の徒」というのは、高橋敏先生の『国定忠治』を読む限り、ほんとうのことだ。その前提として、(この辺りは天領だったので)幕府行政の無策ということがあったわけだが。
国定忠治 (岩波新書 新赤版 (685))

国定忠治 (岩波新書 新赤版 (685))

ここで、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101121/1290314744で引用した芥川龍之介「上海游記」から少し引用しておく;

一体民衆と云うものは、単純なものしか理解しない。支那でも関羽とか岳飛とか、衆望を集めている英雄は、皆単純な人間である。或は単純な人間でないにしても、単純化され易い人間である。この特色を具えていない限り、如何に不世出な英雄でも、容易に大向こうには持て囃されない。たとえば井伊直弼銅像が立つには、死後何十年かを要したが、乃木大将が神様になるには、殆一週間も要さなかったようなものである。(p.94)
要するに、現代の良識なるものは、芥川が呆れた「民衆」よりも「単純」だということになるか。
上海游記・江南游記 (講談社文芸文庫)

上海游記・江南游記 (講談社文芸文庫)

ところで、国定忠治よりも凄いのは、忠治の処刑を演出し、〈英雄〉としての国定忠治をプロデュースしたといえる、忠治の愛人、お徳だろう。どうせキャンペーンをやるなら、寧ろ彼女を前面に出すべきだ。