自明性の揺らぎなど

少し前に「『ソフィーの世界』というのは自明性の揺らぎとその危機の克服の物語という意味では正統的な青春小説といえるだろう」と書いた*1。『ソフィーの世界』ではなく、ローベルト・ムージル『寄宿生テルレスの混乱』*2について少しメモする。『寄宿生テルレスの混乱』も自明性の揺らぎの物語である。何しろタイトルが「混乱(Verwirrungen)」なのだから。主人公のテルレスは「大きな庭を散歩し」ながら、「無限」を発見する(p.133ff.)。それは或る自明性の揺らぎでもあった;


(前略)
そして突然、気づいた。――こんなことははじめてのような気がしたのだが――実際、なんと空は高いんだろう。
ドキッとした。ちょうど頭上の、雲のあいだで、小さくて、青くて、とっつもなく深い穴が輝いている。
長い、長いハシゴがあれば、穴のなかまで昇っていけるにちがいないと思った。けれどもどんどん奥に入っていって、目をあげると、青く輝いている底は後退して、ますます深くなっていった。しかし、いつか底にたどり着いて、視線で底を引き止めることができるにちがいないと思った。その願いが、痛いほど激しくなった。
極限まで張りつめた視力が、雲のあいだに視線を矢のように打ちこんでいるかのようだった。どんなに遠くに目標を定めようと、いつももう少しのところで目標に届かないかのようだった。
そこでテルレスはじっくり考えてみた。できるだけ落ち着いて、理性を失わないようにしようとした。「もちろん終わりはないんだ」と思った。「どんどん先まで、ずっと先まで、無限まで行くんだ」。じっと空を見つめて、そうつぶやいた。まるで呪文の力をテストするかのように。しかし効き目はなかった。言葉に意味がなかった。いや、むしろ別の意味があったのだ。それはまるで、おなじ対象について語っているのだけれど、その対象のもっている別の、未知の、どうでもいい側面について語っているかのようだった。
「無限!」。テルレスは数学の授業でこの言葉の意味を知った。これまでこの言葉から特別なことを想像したことはなかった。何度もくり返し使われる言葉だ。誰かが発明したのだ。それ以来、固定したもののように「無限」を使って確実に計算できるようになった。まさに計算のときに必要なものだった。それ以上のことをテルレスは求めたことがなかった。
ところが突然、ひらめいた。この言葉には、恐ろしく人を不安にさせるものがくっついているのだ。飼い慣らした概念のように思えていた。毎日それで、ちょっとした手品をやっていたのだが、突然、飼い主の手から放れてしまったのである。分別を越え、荒々しく破壊する力は、発明者の手によって眠りこまされていたらしいのだが、突然それが、目を覚まし、もとの恐ろしい力になったのだった。そう、この空のなか、無限がテルレスの頭上で、生きた姿をあらわし、脅かし、馬鹿にしているのだ。(pp.134-136)
そして、テルレスに「思い出」が噴出するが、それはテルレスの自明性を破壊し、不安にさせるものだった;

テルレスはいま、あらゆる面から沈黙にかこまれていると感じた。遠くの怪しい勢力のように沈黙は、以前からテルレスを脅かしていたわけだが、テルレスのほうは本能的にそれを避けてきた。ときどき、おどおどした視線でちらっと見るだけだったのだ。ところが偶然のできごとにより、テルレスの注意が鋭くなり、沈黙に注目するようになったので、沈黙のほうも、合図されたみたいに、あらゆる方面から襲いかかり、とんでもない混乱をもたらした。そして混乱は、時々刻々、どんどん広がっている。
狂ったようにテルレスを襲ったのは、事物を、プロセスを、人間を、ダブルミーニングなものとして感じることだった。一方では、発明者の力によって、たわいのない説明の言葉に縛りつけられたものでありながら、もう一方では、いまにもその言葉から逃れようとするよそものであるのだから。
たしかに、どんなことも簡単に自然な説明をつけることができる。テルレスもそれは知っている。しかし、そういう説明は、いちばん外のカバーを剥がすだけで、内側を明らかにしないので、テルレスは不安になり、ギョッとするのだ。テルレスの目は不自然になったようだが、内側が、いつもカバーの背後にあるものとしてほのかに光って見えるのだ。
こうしてテルレスは寝ころんだまま、思い出にすっぽりくるまれていた。思い出を種にして、奇妙な考えが、見たこともない花のように育った。忘れられないあの瞬間、ふだんなら、それらの瞬間がパラレルにおなじスピードで同時にやってくるかのように、私たちの人生は分別をもって完璧につながっているのだが、そういうつながりの見えない状況。――これらがからみ合って、混乱した。(pp.138-139)
やがて、テルレスは、その「混乱」、自明性の揺らぎを外的世界だけでなく自らの内面に見出すことになる。バイネベルクとライティングに裸にされ鞭打たれるバジーニの姿を眺めながら、「意外なことにテルレスは、性的に興奮している自分に気づいた」(p.155)。
さて、テルレスがバジーニを犯して自己嫌悪を抱いたことが語られた後で、物語を語る、少年時代の事件を回想している未来のテルレスが突然登場する;

少年時代のできごとを克服した後、テルレスは、とても繊細で感受性のある青年になった。そして、美を愛し知性もある人物たちの一員となった。そういう人たちは、法律を守ることによって、また部分的には公衆道徳を守ることによって、粗野なことや、より繊細な魂のできごととは無縁なことを考えなくてすむから、一種の安心感を手に入れる。けれども法律や道徳の対象についてもっと個人的な関心を求められると、たちまちそういう人たちは、法律や道徳の大ざっぱで外面的で、ちょっと皮肉な正しさを、退屈で鈍感なものだと思うのである。というのもその人たちが実際に関心をもっているのは、魂や精神の成長でしかないのだから。あるいはまた――これはどのように呼んでもいいのだが――本の行間にある思想を読んだり、絵に描かれた閉じたくちびるを見たりして、私たちの心に蓄えられるものにしか、関心をもたないのだから。さらにまた、なにか孤独でわがままなメロディーが私たちのところから去っていき、――遠いところへ歩いていきながら――見慣れない仕草で私たちの血の細く赤い糸を――ぐいぐい引っぱるときに、ときどき目覚めるものにしか、関心をもたないのだから。けれどもそういうものは、私たちが書類を書いたり、機会を作ったり、サーカスに行ったり、あるいは、これらに似た多くの作業をやっているときには、いつも消えてしまっているものであるのだ。――
だからその人たちにとって、道徳的な正しさだけを要求するような対象は、まったくどうでもいいのだ。というわけでテルレスも晩年になって、あのときのできごとを後悔することはけっしてなかった。テルレスの欲求はとぎすまされていたが、文学趣味に偏っていたので、たとえば奔放な放蕩者の話しを聞かされても、その行状に憤慨するなどということは、完全に視界の外だっただろう。そういう人間をある意味では軽蔑したとしても、その理由は、放蕩者であるからではなく、まともな人間ではないからだろう。奔放な行状のせいではなく、そんな行状に走らせた魂の状態のせいだろう。放蕩者が馬鹿だからだ。知性に対抗してバランスをたもつ魂の力がたりないからだ。……つまり要するに、放蕩者の悲しくて、強奪されて、衰弱した姿のせいにすぎない。放蕩者の悪癖が性的な奔放さであっても、やめられなくなってしまったタバコや酒であっても、テルレスはおなじように軽蔑しただろう。
(後略)(pp.251-253)
この後、また小説は少年時代のテルレスに戻るのだが、ここでは、テルレスを襲った自明性の揺らぎは、この物語が終わった後で何時の間にかに「克服」されてしまったことが明かされている。また、『寄宿生テルレスの混乱』は作者ムージルが24歳のときの作品で、テルレスのモデルはムージル本人だということなのだが、物語を語っているのは24歳のテルレスではなく、「晩年」のテルレスだということになる。
訳者の丘沢静也氏は解説の「「第二のコロンブス」が書いた物語」で、

20世紀も後半になると、たとえばギュンター・グラスが『ブリキの太鼓』(1959年0で主人公オスカルに成長を拒否させたように、「成長」の神話はどんどん仮面をはがされていくわけだが、20世紀初頭の『寄宿生テルレスの混乱』は、「発達の一段階」の物語である。混乱は解決したわけではないけれど、混乱を踏み台にしたステップアップ。(p.327)
と書いている。しかし、「ステップアップ」できて、「晩年」のテルレスが偉そうに達観していられるのは〈時代〉のおかげなのだろうか。これはテルレスが〈事件〉において相対的に上手く立ち回ったからではないのか。もしこの小説がいじめ抜かれて学校からも追放されるバジーニの視点で書かれていたらどうだったのか。この小説が終わった後のバジーニの人生を想像すると、ぞっとする。それとは別に、バジーニいじめの主犯である、陰謀と他者支配のことしか考えていないライティングや神秘家気取りのバイネベルクの視点からはこの物語はどう描かれるのだろうかとも思ってはいるのだが。
テルレスがバジーニに欲情して彼を犯すことだが、これを同性愛といっていいのかどうかはわからない。たしかに、

ジーニのほうがテルレスよりちょっと背が高かったけれど、体格はとても弱々しく、動作は緩慢で鈍く、顔は女の子みたいだった。頭はわるくて、フェンシングや体操ではびりだったけれど、感じよく媚びるような愛嬌があった。(p.107)
と描写されているけれど、偶々舞台が男子寄宿学校だったので、同性であるバジーニに欲情して彼を犯したのであって、これが例えば共学の学校を舞台にしていたら、物語は別の展開になっていたのでは? それよりも、テルレスの欲望には、同性愛か異性愛かということは勿論のこと、性欲と支配欲も未分化などろどろとしたものを感じる。だからこそ、テルレス自身にとっても驚異=脅威だったわけだ。
ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙

ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙

寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫)

寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫)

ブリキの太鼓 1 (集英社文庫)

ブリキの太鼓 1 (集英社文庫)

ブリキの太鼓 2 (集英社文庫)

ブリキの太鼓 2 (集英社文庫)

ブリキの太鼓 3 (集英社文庫)

ブリキの太鼓 3 (集英社文庫)

ブリキの太鼓 [DVD]

ブリキの太鼓 [DVD]