榎本博明『〈私〉の心理学的探求』

「私」の心理学的探求―物語としての自己の視点から (有斐閣選書)

「私」の心理学的探求―物語としての自己の視点から (有斐閣選書)

数日前に榎本博明『〈私〉の心理学的探求 物語としての自己の視点から』(有斐閣、1999)を読了。


はじめに


1章 自己とはひとつの物語である
2章 人は物語を生きる
1知識は物語構造をもつ
2日常生活にみる物語性
3私たちは自己物語を生きる
3章 自己物語が経験を生み出す
1自己物語が経験を生み出す
2物語はいかに構造化されるか
4章 フィクションとしての自己物語
1過去経験はフィクションである
2過去の自己経験は今ここで生み出される
3自己物語は語り手と聞き手の共同産物である
5章 自伝的記憶
1自伝的記憶とは
2いつごろの出来事が自伝的記憶に含まれるか
3自伝的記憶の保持と忘却
4自己概念による記憶の歪み
5自伝的記憶は再構成される
6章 記憶は想起時の視点でつくられる
1想起は歪んでいる
2今の視点が想起される過去を色づける
7章 記憶は偽造され、また修復される
1自伝的記憶の混乱
2人為的に植えつけられた偽の記憶
3記憶は修復される
8章 自己物語をかたどる文化的枠組み
1自己を方向づける文化的枠組み
2自己を方向づけるさまざまななりうる自己
3自己は文化的所産である
9章自己物語は他者との語りの中でつくられる
1聞き手が自己物語を方向づける
2家族と自己のアイデンティティ
3聞き手が自己の社会性を保証する
10章 自己物語と心理療法
1人生の危機における自己物語の崩壊とその再生
心理療法の場における自己物語の再構築


引用文献

「はしがき」に曰く、

人はそれぞれに自分の物語を生きている。私たちは、数え切れないほどの過去経験を背負って生きているけれども、自分の人生を振り返るとき、またそれを人に語るときに想起されるのは、私たち自身が今抱えている物語的な文脈と矛盾しない出来事や経験に限られる。私たちは、日々新たな経験を重ねていくわけだが、個々の出来事はすでに私たちが抱えている物語的文脈の枠組みに沿って意味づけられ、自分史の中に書き加えられていく。物語的文脈なしに私たちの自己を語ることなどできないし、私たちの自己は形をとることさえできない。このような意味において、私たちの自己とは物語であり、私たちのアイデンティティは物語として保証されているのである。自己とは物語であり、自己の探究は自己物語の探求にほかならない。それがこの本のテーマである。(p.i)
ここで述べられてはいないが、本書の中での重要な論点として、「記憶」や「想起」のメカニズムがある。「記憶」や「想起」はたんなる過去の知覚や経験の(現在における)コピーではなく、物語行為なのだということ。また「自己物語」といいながら、実は、その「自己」=「物語」は「聞き手」を初めとする他者に決定的に影響され、他者に開かれた仕方でしか存立し得ない。
さて、「自己物語」といえば、浅野智彦氏の『自己への物語論的接近』*1だが、この本の上梓の方が先だったんだね。『自己への物語論的接近』は2001年で、これは1999年。
自己への物語論的接近―家族療法から社会学へ

自己への物語論的接近―家族療法から社会学へ

「物語」行為と「記憶」(「想起」)と「自己」の存立との関係については、数日前に読み始めた湯川豊須賀敦子を読む』の第1章で、よりぎこちなくしかしより実存的な準位で論じられていたのだった。
須賀敦子を読む (新潮文庫)

須賀敦子を読む (新潮文庫)

また木下清一郎『心の起源 生物学からの挑戦』を10年前に読んでいたことを思い出した。ここで木下氏は、生物に「記憶」というものが発生し、〈今−ここ〉から相対的に解放されたことに「心」の発生の端緒を見ているのだった。
心の起源―生物学からの挑戦 (中公新書)

心の起源―生物学からの挑戦 (中公新書)