竹中と佐良、鷲田と横山

目白雑録 2 (朝日文庫)

目白雑録 2 (朝日文庫)

また金井美恵子『目白雑録2』*1から;


ユリイカ」十二月号の「野坂昭如特集」のエッセイに、その中で(どういう関連性があるのかは、はぶく)竹中平蔵佐良直美にそっくりだ、と書きながら思い出したのだが、二、三年前、野坂氏が受賞した泉鏡花賞の授賞式に金沢へ行った帰りの上越新幹線の駅のホームで、大学関係者か市役所関係者といった感じの男たちに見送られながら、ニコニコ頭を下げている派手な格子柄のマフラーにちょっとお洒落でスポーティーなコートを着た横山ノック元知事を見かけ、へえーっ、講演依頼なんかがあるのかあ、女子学生や女性市民がよく黙っているものだと、と、あきれたことだった。列車が動き出して、はっと気づいた。ファッション論なども書く大阪の哲学教授だったのだ。近頃、テレビのニュースを見ていて顔がそっくりなのでいつも驚いてしまうのは、イラクの戦争裁判に被告として登場するヒゲ面のフセイン元大統領と仲代達矢である。黒いオイルまみれの海うの写真が反戦に弾みをつけた十五年前のアメリカのイラク侵攻の時には、フセインは「タモリ倶楽部」によく出演していた飯塚なにがしというタレント(?)に顔のふくらみ具合と眼付きが似ていたのだったが、男の顔は履歴書である。個性を重んじるフランスでは、たとえ賞讃のためであっても、誰それに似ている、というのはタブーなのだそうだ、という説をずっと以前知人に聞いたことがあるが、それは、むろん、ある限られた階層のはなしなのであって、だって、ミッシェル・フーコーは、自分はテリー・サバラスに似てると言われる、セクシーだろう、とインタヴューで言っていた。知人も私も姉も「週刊文春」の「顔面相似形」という似た者同士の顔写真を並置するページが好きで、これは南伸坊の高度な批評性による『本人の人』とはまったく別の、単純な、いわば理不尽な相似が一種の不快さをともなう笑いを生じさせるのだった。(「うつうつ日和2」、pp.212-213)
それにしても、鷲田清一*2横山ノックが並置されてしまうとは隠喩の力畏るべしというべきだろう。ところで、「飯塚なにがし」といえば、元カントリーのフィドル奏者で(小野ヤスシらとともにドンキーカルテットというバンドを組んでいた)飯塚文男というのがいたけれど、彼が(あの今野雄二*3も出ていた)愛川欽也の『11PM』の常連であったことは知っていても、『タモリ倶楽部』に出ていたのを視たという記憶はない。ほかの「飯塚」?