1980年代のTwitter?

http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20081204/p2
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20100320/p1


21世紀になってもノート*1 が置いてあるお店ってあるのね。
思い出すのは、だいたい1980年代後半までは(つまり昭和が終わるあたりまでは)大学の文化系(及びお遊び系)のサークルのサークル・ボックスにはどこでも、雑記帳だとか落書帳だとか名前は様々だったけれど、ノートが置いてあって、みんな勝手なことを書いていたということだ。そういう経験と1990年代以降のインターネットとの関係はわからない。でも、その頃でも、紙のノートじゃなくてPCの端末にしても面白いんじゃない? とか、大学内のどっからでもアクセスできるようにしたらいいんじゃない?*2 とか言っていた記憶はある。当時、私はワープロ専用機でさえ使い始めていなかったのだが。
さて、


http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20100801/p1


http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100713/1279042553で書いたこととも関係があるかも知れないのだが、俺としては、いい大人、それも高学歴の大人が英語を勉強することについてはちょっとどうよと思ってしまうことがある。英語勉強するな、英語勉強しろということだ。勿論、英語の先生とか言語学者になるのなら、英語勉強しなければならないというのはいうまでもないが。大学入試を潜り抜けてきただけのヴォキャブラリーや文法的知識はあるわけで、問題なのは寧ろそれが効率的に活用されていないということなのだ。実用ということでいえば、そんなヴォキャブラリーを増やす必要はなく、それよりも乏しいヴォキャブラリーを効率的に使い回すスキルを身につけた方がいい。また、所謂難しい単語というのは実はけっこう簡単で、読むにせよ話すにせよ、いちばん難しいのは例えばputとかrunとか、中学一年生でも、下手すれば小学五年生でも知っているような単語なのだ。これは辞書を見てもわかる。putやrunの項では数頁に亙ってputやrunの様々な意味合いや用法が記述されている。英語勉強するということで特にお薦めなのは、英語を使って、仏蘭西語でも朝鮮語でもバスク語でもいいのだけれど、別の外国語を勉強することかな。肝心の目標とする言語をどれだけ習得できるかは保証できないけれど、英語のスキルが上がることは確実です。

*1:PCにあらず。

*2:LANか?