英語力の現状(メモ)

http://blog.tatsuru.com/2008/12/25_1019.php


はあそういうものなのかということで。ほかの語学教師の方々の証言とかがあれば、以下の言説の信憑性はさらに高まるのだが。
内田樹氏曰く、


すでに現在の日本の高校生の英語学力は壊滅的なレベルにある。
それは「文法、訳読中心の授業のせいで、オーラル・コミュニケーションが不自由である」というようなことばで言い表される事態ではない。
ほんとうに「英語ができない」のである。
文法も訳読もできないのである。
別に日本の子どもの外国語習得能力が低下したわけではない。
そうではなくて、人を外国語を学ぶことへと向かわせるモチベーションの根本が腐食しているのである。

学生たちを見ているとわかるけれど、子どもたちの英語運用能力は二極化している。
一方にオーラル・コミュニケーションに熟達して、それを「キャリアアップ」に利用することを願っている少数の層があり、一方に中学三年生程度の英語力で大学まで来てしまった大多数の層がある。
深刻な問題はむしろ「英語のできる少数派」のありように見られる。
その外国語習得の動機が総じてきわめて合理的だからである。
原語で『赤毛のアン』や『ギャツビー』を読みたいというような素朴な動機で英語を勉強するという学生はもうほとんど「化石」である。
大半の学生は英語習得の努力にふさわしい報酬を、職業や資格や年収というかたちで期待している。
だが、「努力と報酬が相関すれば人間は勉強するようになる」というのは合理的なように見えるが、人間観察に欠けた判断と言わなければならない。
私たちをはげしい勉強におしやる動機はたいていもっと「不合理」で、もっと妄想的なものだからである。
内田さんの主張に対する反証のひとつとしては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070712/1184211162で引用した『読売』の記事がある(これは「英語」以外の言語についてであるが)。しかし、一般的に言って、内田さんの感想は正しいのだろうと思う。学ぶことがconsummatoryなものからinstrumentalなものへ*1と一般的に変じてしまったこと*2