世代の差異?

Geheimagentさん、小室哲哉系の音楽を巡って曰く、


 特に『globe』は、日本の音楽業界の最盛期のイケイケ感を幻覚させてくれるようで最高です。このアッパーな多幸感といったら、どんな懐メロよりも強度がありそう。しかし重要なのは、この幻覚を誰かと共有できる、ということなのでしょう。もしかしたら、いろんな意味で脚光を浴びている「ゆとり世代」には、この感覚が共有できないかもしれない……そう思うとちょっとした優越感さえ湧いてきます。この幻覚を共有できることが、iPodでもなく、Youtubeでもなく、テレビのスピーカーから小室サウンドが聞こえてきた時代を知るものの特権なのです。
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20091230/p2
俺も一応「テレビのスピーカーから小室サウンドが聞こえてきた時代を知るもの」だけれど。以前、

小室哲哉には全然思い入れはない。というのも、ユーロ・ビートは嫌いだからだ。「小室哲哉が作曲した曲の売上 TOP20」という記事を見ると、その殆どは1994〜1996年である。あの頃、無闇にテンションが高いだけの小室系の曲(それとビーイング系)ばかりが氾濫していて、それ故にグルーミーな気分だった。なので、ダウナーでまったりしたPuffyが出てきたときはこれで小室から解放されるぞという喜びがあった。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081106/1225944380
と書いている。これは世代的な差異の故? また、「小室ファミリー全盛期のころすでに洋楽を聴き始め、ボンジョヴィからプログレへ……という中二病全開の青少年期を過ごしていた私にもしっかりと小室サウンドが焼きついているのです」。この感覚って、例えば俺の世代のAbbaに対する記憶*1と同質なのか。