「国籍」(メモ)

新華僑 老華僑―変容する日本の中国人社会 (文春新書)

新華僑 老華僑―変容する日本の中国人社会 (文春新書)

承前*1

先ず譚〓*2美「華僑三都物語」(in 譚〓美、劉傑『新華僑 老華僑 変容する日本の中国人社会』)から。
長崎華僑で「ホテルJALシティ長崎社長」の陳東華氏の語り;


「私はかねがね言葉も話せないのに、国籍だけを維持するのはどうかと思ってきました。国籍は日本でも中国でも構わないし、大切なのは良い生き方をすることです。私は子供が幼い頃、しばらく神戸へ転居して、中国語教育のために『神戸中華同文学校』へ入れたことがあります。しかし、日本に住む以上、中国籍はあまり意味がありません。
それで一度、娘に日本籍にしたらどうかと尋ねました。すると娘は、
『せっかく中国籍を持っているのに、もったいない!』
と、笑いました。
ところが、娘は成長して国際的な仕事につき、北京やアメリカなど海外へ頻繁に行くようになると、今度は、
『(中国籍は)不便だから、日本にしたわ!』
と、さっさと自分で国籍を変更してしまいました。
息子はまだ中国籍のままですが、私はふたりを見ていて羨ましくなりました。国籍などには拘らないのです。若い人は幸せです。つまらない劣等感もありません。同化するのも、決して悪い選択ではありません」(pp.48-49)
劉傑「華僑社会の戦後史」から;

多くの[日本への]帰化者にとって、国籍を変えることはあくまでも生活の便利さを追求する一手段に過ぎない。また、海外出張の多い職場に就職した人は、中国籍の場合、中国以外の第三国へ出張するたびに、その国のビザを取得するという煩雑な手続きを繰り返さなければならないので、このビザ申請の煩雑さを避ける目的で帰化する場合もある。中国人同士の会話の中で、「いま、どこのパスポートを持っている?」という聞き方で、相手が国籍を変えたかどうかをたずねることはしばしば見受けられる。
彼らにとって、国籍は一冊のパスポートのことであり、みずからのアイデンティティを否定するものではない。
帰化するにあたって、名前を変えなければならない場合、それでもあなたは帰化を選択しますか、という質問に対し、NOと答えた人もかなりの割合でいる。一般的に知られているように、日本の戸籍に新たに登録する名前として記載できる文字は、常用漢字人名用漢字、および片仮名、平仮名のみである。外国人が帰化する場合もこの文字の制限が適用され、帰化前の名前に常用漢字または人名用漢字にない字が含まれる場合は、そのままの名前では帰化できないこともある。NOと答えた人たちにとって、名前はみずからのアイデンティティのシンボルである。祖先を大事にする中国文化の視点から見ても、代々守られてきた苗字*3を変えることに抵抗を感じない人は少ないだろう。そういう意味で、名前さえ変えなければ、みずからのルーツを守ることになり、国籍を変えることに、それほど強い抵抗を感じないのである。
一方、名前も国籍同様、みずからを他者と区別するための符号に過ぎないという、わりきった考えを持つ人が増えているが、このような考えを持つ人も、新しい名前を見るだけでその人間のルーツがわかるように、あれこれと旧名前の痕跡を残そうと工夫を凝らしている。
(略)
国籍や名前の変更を気にせずによりよい仕事と生活の環境を追い求める一方で、中国にたいするこだわりは忘れていない。
華人の多くは、子供たちに日本語による教育を受けさせながら、家庭内で中国語教育を怠ることはない。なかには、子供を中国に「留学」させる人も多い。日常生活では、週末や祝日ともなると、中国の友人を家に招き、中華料理を楽しむ。
中国人としての生活習慣を守ることは、日本に在住している華人特有の現象ではない。八〇年代以降、留学の目的で欧米に渡った中国人の多くも、そのまま留学先に留まり、現地の市民権を取得した。彼らのなかには、欧米風の名前に変えた人もいれば、旧来の名前をそのまま使う人も多い。もちろん、その場合は、漢字の発音をアルファベットに変えて標記するが。
彼らの多くも、日常生活にいたっては中国スタイルをかたくなに守っている。春節中秋の名月といった伝統的な中国の祝日には、祝杯を挙げるための同郷人の会合を決して疎かにしない。一方で、感謝祭やクリスマスなどの日には、現地の人びと同様にわくわくする。これが新華僑・華人の生活スタイルなのである。(pp.168-171)