コタツミカン!

http://blog.goo.ne.jp/kaetzchen/e/50732980780f0fba4ebffcf88bc3d69a(Via http://taraxacum.seesaa.net/article/145630488.html


ほぼ1週間ご無沙汰。3月末からちょっとごたごたしていて、ニュースやウェブを見ることもままならなかった。その間に色々と重大な事件も起こってはいるようだけれど。
さて、「カウチポテト左翼」である。” kaetzchen”*1が古寺多見氏、「たんぽぽ」さん、それに村野瀬玲奈さんをそう呼んででいるそうな。今頃「カウチポテト」かよと一瞬思ったのだが、「たんぽぽ」さんはその出典として拙blogを挙げているではないですか。たしかに、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091208/1260298177で「runner」なる人物の「部落差別」についての理解を批判しているのだが、その「走者」が使っていた「カウチポテト左翼」という言葉には注目せずに、自分がそのような言葉を引用していたことも忘れていた。
この「走者」という人物、もしかして俺と同世代かも知れないぞと不図思った。「たんぽぽ」さん曰く、


カウチポテト」というのはなんだ?と思って
調べてみたら、長椅子(カウチ, coach)に横たわって、
ポテトチップスをむさぼることで、
豊かだけれど、不健康な生活をする人のことだそうです。
先ず、coachだと「長椅子」ではなくて馬車、或いは(サッカーなどの)監督や指導員で、「長椅子」はcouchです。それはともかく、「カウチポテト」という言葉が(日本で)言われ出したのは1980年代前半のことで、日本風に言いかえたらコタツミカンだねとか言っていた。その背景としては、家庭用ヴィデオ・デッキの大衆化ということがあり、レンタル・ヴィデオというビジネスが成立して、映画を映画館で観る時代からヴィデオを借りて家で観る時代に変わり始めたのもこの頃だった*2。また、TV番組をリアル・タイムで視るのではなくて、録画しておいてあとで視るという習慣が始まったのもこの頃。『朝まで生テレビ』も家庭での録画を前提にして制作された番組だったと思う。まあ、「ポテトチップス」はそれ以外の諸々のジャンク・フードをも代表するということで、それが(グルメの時代において)「豊か」かどうかはわからないけれど、とにかく「カウチポテト」というと80年代の雰囲気を思い出してしまう。
カウチポテト左翼」だが、「走者」は「ネット左翼」の同義語として使っているようだ。これはちょっと違うと思う。1980年代的な「カウチポテト」と比べて、左翼であれ右翼であれネット・ユーザーには妙な能動性がある。1990年代のインターネット前夜から流行り始めた言葉は〈インタラクティヴ(双方向性)〉だった。1980年代的な文化からの連続性ということだと任天堂の〈ファミコン〉に代表されるTVゲームが重要なのだろう。ただ、1980年代的なヴィデオ録画文化においては殆ど情報の発信という発想はなかったし、長椅子に寝っ転がりながらゲームはできない。勿論、PCを操作することもできない。ということで、「カウチポテト」と「ネット左翼」との連続性は稀薄である。
ネット左翼」というのは批判の言葉として機能しうるのだろうか。「ネット左翼」の対極概念としての熱湯浴については、従来からの右翼との違いというのが屡々論じられはいる。「ネット左翼」についてはどうか。従来からいる左翼と「ネット左翼」との差異というのは熱湯浴ほどには論じられていないのではないかというのが俺の感想。また、(その良し悪しは別として)かなりの連続性があるのではないかとも思っている。「走者」が言いたいのは、デモをしたり街角でビラを撒いたりしている「左翼」ではなく、ネット上での(誹謗中傷とかも含む)言論活動のみを行っている「左翼」ということかも知れない。” kaetzchen”が「カウチポテト左翼」と罵っている方々が実際にどうなのかは知らない。しかしそもそも、(左にせよ右にせよ)言論活動のみというのが悪いとは思わない。勿論、誹謗中傷やデマの散布という悪しき言論活動のみ行っているという奴もいて、それは悪いに決まっているのだが。というか、インターネット以前には、自らの意見を公的に発信する政治的な言論活動を行っていたのは、従来からの左翼や右翼の組織に属する人たち、プロの政治家、文化人の先生方であって、デモにも行かず或いは街宣車にも乗らない一般人が政治的意見を表明するというのは実際、選挙の投票或いは居酒屋でのトークとかに限られていたわけだ。インターネットの普及はそうした無所属・無組織の人々に自らの政治的意見を公的に発信する手段とチャンスを与えたといっていいだろう。勿論、その質は玉石混淆というよりも、石の方が玉よりもはるかに多いわけだが。99が石であっても玉が1つあれば、それは取り敢えずいいことだとはいえるだろう。「走者」も勿論そのようにして意見表明のチャンスを与えられたひとりではあろう。玉ではなく石であるのはいうまでもない。取り敢えずの結論は、「走者」が他人を「カウチポテト左翼」とか「ネット左翼」とか言って罵ったつもりになっているというのは天に唾するということなんだよということだ。” kaetzchen”もだ*3

*1:最近の言及としては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100317/1268807992

*2:その煽りを受けて崩壊してしまったのがポルノ映画というジャンル。

*3:前に” kaetzchen”には言及することもないだろうと書いたのだが、彼に直接言及することは避けたものの、自ら禁を破ることになってしまった。まあ知人が関わっていることだから仕方ないと自らを許すことにする。なお、彼に罵倒された方々は石ではなく、少なくとも磨けば玉になりうる資質を有した方々であるとは言える。