社会が社会をつくる、取り敢えず

「オカンはデマを真に受けるかなあ?」http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20110325/1301023052


「デマ」の受容問題について論じられているのだが、それについてはまた別に*1。さて、「世代論」に関して、


さっきぼくは、上の世代について、「大きな物語」という用語で書いたが、厳密にいうと少し違う。この言葉は使わない。

 もともと資本主義を批判するものとして左翼(社会主義共産主義)があり、それが現実批判の対抗言論として大きな影響を持っていた。国家・政府・資本といった社会制度への批判ということがわかりやすく、実際にそうだったから、対抗言論には少なからずこの要素が入っていた。

 しかし、ソ連社会が凋落していくにつれ、この対抗勢力は魅力を失い、同時に、先進国では社会矛盾の現れが、ストレートに社会制度の問題として出現せず、個人を通して複雑に現れるようになった。貧困の根底でマルクスのいう「資本主義の蓄積法則」が作用するにせよ、それが人の目に映るときには、個人の能力や責任の問題としてしか現れない、というような話だ。児童虐待なども親の「ひどさ」に目が向くので、「鬼のような個人」が一面的に強調される。

と語られている。「ソ連社会」の「凋落」って何時なのか。ハンガリア革命? プラハの春? 伯林の壁崩壊? 或いは蘇聯という国家が消滅した1991年? それはともかくとして、手短に言えば、遅くとも1960年代後半までには、経済とか文化(価値観)といった特権的・超越的審級に依拠して社会の存立を説明してしまうことはできないということは気づかれていたのではないか。アラン・トゥレーヌ(例えばNorman Birnbaum (ed.) Beyond the Crisisに収録されたテクスト)の言葉を借りれば、社会が社会をつくると大雑把にしか言えないような状態。その後の今日に至るまでの社会理論の転換、例えばマルクス主義だけでなくパーソンズ流の社会システム論の急速な凋落、ルーマンのオートポイエシス的転回、ギデンズによる統合理論の試み等々は、この特権的・超越的審級の不在という事態に対応したものだということもできる。しかしながら、この不在を記述する言語はいまだ確立されていないともいえる。トゥレーヌは、〈五月革命*2を闘った学生たちは新たな事態に気づいてはいたがそれを語るための語彙を持ち合わせてはおらず、仕方なく旧来のマルクス主義の語彙を使っていたとも述べている。実際、1960年代以降に顕在化した社会問題及びそれらに対応する社会運動は、例えばフェミニズムにしても反原発運動にしても、マルクス主義の図式に還元できるものではない*3。それ以前、(少なくともオーソドックスな左翼にとって)自立的な市民運動というのは存在しなかった。勿論市民運動は存在したが、それらは〈革命運動〉に従属した(幾分格下の)〈民主運動〉として位置づけられており、反体制たろうとする者には取り敢えずマルクスレーニンに敬意を示すという礼儀が求められていた。1960年代以降の事態のひとつは、〈革命運動〉とかマルクス主義から独立したフェミニズム思想(運動)や環境思想(運動)等が勃興したということだろう。ところで、上に述べられているような〈社会の心理学化*4は、ハンティントン流の「文明の衝突論」*5などとともに、社会の記述の困難という状況において、〈わかりやすさ〉を安易に求めた結果であり、(その中立的な意味において)〈反動的〉であるとはいえるだろう(勿論、それで言い尽くすことができるわけではない)。
Beyond the Crisis (Galaxy Books)

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文明の衝突

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