かつての立正佼成会とか

承前*1

生方幸夫の突然の解任と突然の解任取消を巡って思い出したのは何故か、1950年代の立正佼成会の内紛だった(当時は、「立正佼成会」ではなくて「立正校成会」)。
立正佼成会は教団結成以来、庭野日敬と長沼妙佼という二重指導体制によって運営されてきた。一応理論的指導者は庭野日敬だったが、信者の多くは寧ろ長沼妙佼のシャーマン的なカリスマ性に惹かれていた。1950年代、教団は主に読売新聞によるバッシングによって存亡の危機に立たされていた。そのような中で、反庭野派の幹部たちは長沼妙佼を担いで、立正校成会から分裂し、新教団を立ち上げようとしていた。しかし、1957年に長沼妙佼は死去してしまう。これによって二重指導体制は崩れ、教団における権威・権力は庭野日敬に集中した。庭野は教団の新体制発足に当たって、造反した幹部たちを粛清せずにそのまま重用し、これが庭野の地位の安定化に繋がった(これについては、例えば森岡清美『新宗教運動の展開過程』などを参照)。因みに、それから間もない1960年代前半、立正佼成会は別の意味で危機を迎えることになる。当時日本に進出したばかりだった統一協会にスパイとして接触させていた庭野の秘書、久保木修己が手下の信者を連れて(マジで)統一協会に改宗し、統一協会日本支部長になってしまった。

新宗教運動の展開過程―教団ライフサイクル論の視点から

新宗教運動の展開過程―教団ライフサイクル論の視点から

メンバーの忠誠を調達するには内部に敵(裏切り者)を製造し、それに対する糾弾キャンペーンを盛り上げる方が簡単なのだが、小沢一郎は権力の高等な行使の仕方を心得ているなと感心もしたのだった。しかし、小沢フォロワーたちの解釈は違っているようだ。山崎行太郎氏曰く、

解任から続投へ。「生方幸夫続投」は、おそらく小沢幹事長の意志ではない。この異例とも言うべき「生方幸夫続投」を小沢幹事長に進言したのは鳩山首相サイドだったとか。いかにも「優柔不断」がモツトーらしい鳩山首相らしい迷走ぶりであるが、それにしても、「支持率下落」に悩む鳩山政権は、「マスコミ」と「世論調査」しか頭にないということがわかる。「解任」から「撤回」「続投」へという、この優柔不断を絵に絵に(sic.)描いたような迷走劇は、鳩山政権の「支持率アップ」に繋がるどころか、鳩山政権の命運を決することになるかもしれない。鳩山首相の強気の「県外・海外移転」宣言から始まった沖縄米軍基地移設問題だったが、沖縄県民に期待を持たせた挙句、様々な不可解な迷走発言の果てに決定したらしい「自民党案」踏襲宣言を見るまでもなく、鳩山政権はすでに賞味期限切れというほかはない。ほぼ同時に起こった二つの迷走劇、つまり沖縄米軍基地問題の迷走劇と、「生方盗聴テープ事件」の「解任」と「続投」の迷走劇は、いよいよ鳩山政権の命運が尽きたことを象徴しているのではないか。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100324/1269390168
鳩山由紀夫劉少奇か。
ところで、http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/32efdfbde80b0e68f36eb8b967d47342からリンクされているhttp://sun.ap.teacup.com/souun/2597.html生方幸夫=カクマル説を開陳している。彼が学生時代カクマルにコミットしていたのかどうかは知らないけれど、たんに1960年代後半に早稲田に在学していただけでカクマル呼ばわりというなら理不尽なことだ。また、この『晴耕雨読』というのは日頃からあからさまにユダヤ陰謀論を垂れ流しているblogであり、それがこういうことを言うのは、目の何とかが鼻の何とかに物言うということなのではないかとも思ってしまう。