擦れ違いの話

日曜の早朝(深夜)0時30分上映開始の『アヴァター』を観て、映画が終わったら3時過ぎで、帰宅したのが4時近く。起きたら、11時を過ぎていて、聴きにいこうと思っていた上海国際文学節のAlice Pungのトーク*1は諦めた。

さて、経済思想さん経由で、


上野俊哉東浩紀さんとのすれちがいについて」http://www.wako.ac.jp/sougou/blog/ueno/2010/03/post_166.php


を知る。
上野さん、2005年にお会いしたときよりも*2、5年経っているとはいえ、年取ってみえるというのはさて措く。最近東浩紀*3界隈の人々が上野氏についてけっこう言及しているのだと。何だか東が上野氏と毛利嘉孝氏を混同した上で、「カルスタ」の連中は俺をdisっていると思い込んでいるとか。上記のエントリーには、10数年間に及ぶ上野氏と東との「すれちがい」が記述されている。2人の「接点のなさの理由」が書かれている部分;


東さんは『東京から考える』という対談本の前書きで、「自分はポテチを食べながらデスクトップにぬるぬると向かい、コンビニがあれば用が足り、他は事実上いらないと考える人間であり、同じタイプの人に共感し、そのために書く」「郊外の国道沿いブックオフ文化の現実しか、もはやあり得ないことを肯定し、そこに置かれてもぴったり合う本を書く」といったことを述べている。

 ここがまるで接点のない理由である。ぼくはなるべく美味しいもの、身体にいいものを、自分で作って食べるのがすきだし、コンビニは便利だがあそこにおいてあるモノは基本的に人間を貧しくすると思っている(経済的にではなく、感覚的にね)。おまけに「ブックオフ」という空間には入ったことすらない。本買い/読みのジャンキーなので、かえって「掘り出し物」が多そうで怖くて入れないのである。
 郊外型の書店やコンビニ、アウトレット/ショッピング・モール、「日本語環境」に特化したネット文化が、どうも人々のリテラシーや教養、思考力をダメにしているように考えている人間なので、「郊外の国道沿い」の店で売っているモノとつきあわないように生きているし、若い学生たちにもそう薦めている。

   東さんは「適当にぬるぬる消費者をやって、小さくハッピーに生きる」道を推奨し、これが逃れられない「動物化するポストモダン」であるという主張をしている。だが、これはぼくの用語だと「家畜化するプレ/エクスモダン(前近代/近代の外)」ということで、「おい、そんな家畜でいいのかよ。もっと世界には楽しい/ヤバい/エグいこともあるかもよ」と学生たちにはよく言っている。

上野氏が「ブックオフ」に行かない理由には笑ってしまった。実際「掘り出し物」は多いですよ。ところで、最後の

今から一五年以上前の東さんがtwitterでふれていた研究会の夏合宿、夕方に台所でぼくはその晩の飲み会のつまみの仕度をしていた。いろいろ素材を仕込みながら、ぼくは近くにいた東さんに言った。「ねえ、きみ、そのニンニク一カケとってくれる?」と。
 東さんは「一カケってこれですか?」とまるごと皮のついたニンニクをよこしたのである。
 「きみのニンニク一カケってこれなのかよ!」呆れるやら、怒るやらでつい大きい声を出したかもしれない。「二十歳すぎて料理もしたことないのかよ」とまで言ったかなあ。
 ぼくは料理(家事)のできない人間、男、とりわけ研究者やもの書きのことを基本的に信用しない。無茶苦茶に狭隘な視点だけれど、これも世界や宇宙に対する関わり方の一つだ。そう、あの日から、ぼくは東さんとすっかりすれちがっていたのだろう。
という箇所もげらげら笑ってしまったのだが、これは若い人からすれば、大人げないオヤジの説教という感じになるのだろうか。
東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

「まるごと皮のついたニンニク」だと、油を敷いた「ル・クルーゼ*4にぶち込んで、蓋をして、そのまま弱火で20分くらい。蒜の蒸し焼きの出来上がり。