ただの変換手段

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100227/1267241373


こういう話というのは前からネット上では散見されていたわけだが、帝京だとはいっても一応大学教授がこういうことを書いちゃうというところにニュース・ヴァリューがあるのだといえる。それにしても、薬害エイズ事件といい、これといい、帝京大学というのはどうも〈血〉に縁があるようだ。
したいのはそういう話ではなかった。元ネタのhttp://isinnsha.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-0e47.htmlだが、URLのサブドメインに注目してみる。漢字に直すと、維新者となるのだろうか。また、siとshaで、訓令式ヘボン式が混ざっているぞということにもなる。城内実の"ozawakannjicyou"*1でもそうなのだが、nが重複している。
日本語の羅馬字表記というのは、漢字や仮名の読めない外国人に発音を示すため、また外国語を書くときにその中に日本語の語彙を組み込むために使うのだと思っていた。でも、それは世間知らずな考え方だった。少なからぬ日本人にとって羅馬字というのはそんな意味を持っていない。たんにPCで漢字や仮名を入力するための手段にすぎないのだ。そこで、nの重複というのが意味を持ってくる。つまり、nを2回打つと〈ん〉という仮名になる。とはいっても、kanjichouと続けて打てば、一発でかんじちょう→幹事長となる。2回打つ必要があるのは語尾の〈ん〉だけだ。この人たちは、もしかして、1字ずつ平仮名に直して、それから徐に漢字変換をしているのか。そういう疑問が新たに出て来たのだが、この人たちにとって、羅馬字は変換手段にすぎず、だから訓令式でもヘボン式でも、はたまたcyoという変な綴りでも変換できりゃそれでいいということになるのだろう。