或る陰謀理論の終了

承前*1

『朝日』の記事;


ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書

2010年2月12日3時30分


ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。

 この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し。米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。

 ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露されたが、ロ社の裏金が渡った日本政府高官の名前は伏せられた。

 与野党いずれも政府に真相解明を要求。三木首相は2月18日、「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると決めた。

 文書によると、中曽根氏はその日の晩、米国大使館の関係者に接触し、自民党幹事長としてのメッセージを米政府に伝えるよう依頼した。中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。
http://www.asahi.com/politics/update/0211/TKY201002110364.html

さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消すことを希望する」に変更したとされる。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書いてある。中曽根氏はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、「三木首相の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と指摘したとされる。

 文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明だ。

 結果的に、事件の資料は、原則として公表しないことを条件に日本の検察に提供された。(奥山俊宏、村山治)
http://www.asahi.com/politics/update/0211/TKY201002110364_01.html

また、http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20100212/p1には、『朝日』のオンライン版には載っていないが、紙の方には載っているという当時の米国政府関係者の反応への言及が引用されている。
ロッキード事件陰謀論〉は「これでとどめが刺された」ということだ。
ロッキード事件については、先ず(以前にも記したが)ヴェトナム戦争敗北やウォーターゲートという米国側の文脈で理解すべきだろう。それから、(これはどの疑獄事件でも或る程度共通しているのではないかと思うが)相対的弱者(ボーイングに対するロッキード、財閥系商社に対する丸紅、JALに対するANAなど)が権門に擦り寄ったのがばれて、大ごとになったということ。