改竄を巡って

承前*1

伊藤大地*2森友学園・公文書改ざん 問題の本質は? 対策は? 専門家に聞いた」https://www.buzzfeed.com/jp/daichi/zannoha-ha-niita


瀬畑源氏へのインタヴュー。


財務省はやってはいけないことに手を染めてしまいました。公文書には、嘘はないという大前提があります。特に決裁文書の場合は、行政が動いた記録を証明するもので、それを書き換えてしまったのは、改ざん以外の何物でもないと思います。

公文書は、行政について検証し、議論する基礎的な資料です。これを勝手に歪めてしまえば、民主主義、民主政治の根本が崩れてしまいます。

また、

文書に基づいて動き、そして文書を残すのが官僚制の大原則。公文書を隠す、捨てるといった事例は過去に腐るほどあります。でも、改ざんとなると前代未聞。歴史的に見ても稀有だと思います。

今回の問題は、財務省だけの話でなく、公文書管理の根幹が問われています。

もはや、パソコンで文書を作っている以上、こういうことはある、というのを前提にしなきゃいけない。手書き・ハンコの書類を改ざんするよりもずっと簡単です。

デジタル書類への対応については、課題意識はあったものの、技術的にどうするのか、という壁もあって進んでいなかった、という経緯があります。

さて、木野寿紀氏*3はこれと対立する意見を述べている;

で、やっぱりこういう「紙」とか「印鑑」ベースのアナログなシステムって、後から改ざんしたり廃棄したりとかが簡単にできてしまうので、「行政手続の記録を厳重に管理する」という観点からはめちゃんこ脆弱だと思うんですよね。

エストニアの官公庁がこの手の公文書改ざんをやろうものなら、一発でバレちゃうでしょうね。あらゆる行政文書が電子的に管理されている国ですから。紙ベースの文書とは違って、電子情報の場合はいつ、どこで、誰が、どの端末からデータを書き換えたのか、すぐに特定できてしまいます。
(「エストニアでは公文書の改ざんは一発でバレます。なぜか。」http://www.from-estonia-with-love.net/entry/moritomo

財務省は「紙」だけではなく、その元となった電子データ(.docファイル?)を開示することも求められるのでは? PCで書けば「手書き・ハンコの書類を改ざんするよりもずっと簡単」かも知れないけれど、ばれるのも手書きよりも「ずっと簡単」かも知れない。
また、


籏智広太「森友文書改ざん、専門家が語る本当の危機とは」https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/moritomo-kakikae-4


曰く、


財務省は、やってはいけないことをやった。『書き換え』は、そもそもいまの管理制度も法律も想定していないことですから、一線をかなり越えている」

情報公開制度の調査研究などをしているNPO法人「情報公開クリアリングハウス」*4理事長の三木由希子さんは、BuzzFeed Newsの取材にそう語る。なぜなのか。

「政府の決定の過程を残すのが、公文書管理の仕組みです。政府がものごとを決めた背景を知ることで、その位置付けや意味合いがわかり、その決定が適正なのか合理的なのか、判断することもできる」

「つまり、公文書管理は、政府がその信頼を獲得するために、自らの決定の説明責任を果たすプロセスです。しかし今回はそうした文書をつくり変えていたことになります」


これほど大規模な公文書の書き換えは、前例がないという。

ただ、情報公開に際して、政府が都合の悪い情報を黒塗りにして隠したり、そもそも非公開としたりする事例、公開までのプロセスで修正される事例は、これまでにもあったことだ。

「政府は、知られたくないことがあるからと、過剰な非公開や書き換え、さらには『そもそも文書を残さない』という選択をする」

さらに、2017年12月には公文書管理ガイドラインが改定され、公文書の作成について、課長級への確認や相手方とのすり合わせが必要となった。

これにより、行政文書に記録される内容が選択されたり、何を行政文書として残すかの選別がされる恐れが広がったとみる。

「どのような公文書を残すかについて、これまで以上に組織的にコントロールできるようになっている。政府の決定を批判されにくくするための仕組みがどんどんとつくられ、負のサイクルに入っていくのです」

「ただ、それは結果として政府への不信感を増長させるだけ。今回はたまたま朝日新聞の報道で改ざんが発覚しましたが、他にも同じケースがないとは誰も言えない。こういうことを繰り返すと一事が万事、疑わしく見えるようになります」


「公文書管理の仕組みを変えましょう、とするだけでは、結局形骸化してしまいます。そもそもは、こうした事態を招いている政府の運営こそが、問題なのです」

「今回の問題のみを特別な『民主主義の危機』として捉えるのではなく、文書管理をめぐる政府の姿勢全体が、以前からすでに危機にあるということを知り、文書を巡る問題だけでなく政府の活動の健全性そのものに目を向ける必要があるのではないでしょうか」

決裁文書の改ざんは、「文書主義」であるこの国の根本を脅かす大問題であり、あってはならないことだ。

しかし、公文書管理をめぐる問題はすでに以前から進行していた。それも、政府の不都合な決定が見えにくくなるように、だ。