承前*1

- 作者: レーヴィット,熊野純彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/10/16
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この件に関しては略1か月ぶりの更新となる。カール・レーヴィット『共同存在の現象学』II「共同相互存在の構造分析」第一部「共同世界と「世界」ならびに「周囲世界」との関係」第5節「周囲世界のうちに共同世界があらわれること」a「製作品の世界として」。
最後のパラグラフには同意できない。ここで挙げられているのは所謂役割関係であるが、それらの「共属性」というのは関係の項としての人間から発出しているものではないだろう。関係それ自体というか、項の間の一定の相互作用から発出しているものでは? さらに、(物象化された相において見るならば)これらの「共属性」が発出しているのは〈制度〉からだと言えるだろう。つまり、家族制度がなければ「夫」も「妻」もなく、軍隊制度がなければ「将校」も「下士官」もなく、賃労働制度や企業制度がなければ「雇用者」も「被用者」もないのだ。
4 製作された道具には(略)目的に適ったありかたが物件というかたちをとって刻印されている。ここでふたたび立ちあらわれてくるのは、道具が、その製作者、つまり共同世界を根源的に目ざしているということである。共同世界にぞくする物件的な目的のために、道具は現にそこに(da)存在するのである。
人間的な目的が道具には物件的なかたちで刻印されているのだから(中略)椅子がそのためにぞくしている共同世界を明示的なかたちで引きあいに出すことがなくても、あらかじめ椅子として理解可能である。たんに便宜的に(ad hoc)〔坐るために〕使用された木箱とはことなり、ほんものの椅子はすでにそのもの自身として(人間の)椅子として理解されうる。だから、ほんものの椅子であるならば、人間がそれにむすびつける目的はだんじて「外的」なものではない。目的に適うようにつくり上げられ使われている道具にとっては、人間の目的が物件というかたちをとってむしろ固有にぞくしているので、人間――人間は道具全体の本来的な目的である――は、さしあたりはかえってまったく前景に立ちあらわれない。だが、きわだって目的に適って存在するものはすべて徹頭徹尾、目的に−適っているのであるから、それはまた目的を定立する人間をあますところなく指示する。道具が目的に適ったものであるほど、その道具によって告げられるのは、人間とその目的であり、逆もまた同様である。たとえば水は、特定の目的――飲むこと――のためにそこに存在することもありうる。けれども水にとって、人間のこの目的はじっさい「外的」である。飲むことが飲む−容器を指定することはあるにせよ、飲み−水をその自立的な自然において規定することはない。水は、だから、人間とその目的についてはなにも告げることがない。家具――たとえば机と椅子――が「ばらばらで無秩序に」ならべられていることがありうるのは、したがって、家具にとってその目的が「外的」であるからではない。机と椅子はそれじしん一定のしかたで共属しあっているがゆえにこそ、それらは互いが共属しあっていないしかたでならべられることも可能なのである*2。天板を下にして置かれた机は、机として刻印されたありかたに背反して立っている。このばあい机自身が逆さまに立っていると語ることはそれゆえに正しい。
とはいえ、道具それ自身に刻印された目的に適ったありかたは、それでもなお、道具それ自身からは発しないかぎりにおいて、原理的にいって、道具にとって外的なものである。机や椅子の根源的な目的、それが目ざすものは、机や椅子がぞくする共同世界である。(略)
これに対して、ひとびとが――たとえば夫と妻、両親と子どもたち、将校と下士官、雇用者と被用者が――多かれすくなかれ刻印づけられている人間的な共属性は、そのひとびと自身から発出するものである。そうした共属性は、だからそれ自体として(eo ipso)「根源的」なものである。すなわち、それ自身から発出する共属性であって、そのように根源的に互いに所属しあうことがどのような拘束性をもつか、あるいは本来的なものであるかを措いてもなりたつ共属性なのである。(pp.88-90)
ところで、家具同士の「共属」が言及されているが、或る種の自己意識においては、人間関係が家具同士の配置に還元されてしまう危険に関して、ウッディ・アレンの悲劇『インテリア』をマークしておく。
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所謂フェティッシュはこのようにして生成するのだろう。修辞学的にいえば、換喩的な意味作用。
5 より直接的であるとはいえ、より拘束力が弱いしかたで、製作品の世界は、ひろい意味での共同世界にぞくしていることにおいて共同世界を指示している。共同世界へのこのような所属は、刻印された目的に適ったありかたによって生じるのではなく、そのありかたに付けくわわるものである。書斎机であることを刻印されたものは、まさに人間の目的がその製作に対して有する拘束力だけでは、書く人間を直接に指示することはない。他方で、道具は、たとえば〜のもとで買った、〜に配慮された、〜から受けついだといった、道具自体にとっては外的な規定を負って入手される場合には、直接に共同世界に関係している。(略)ヘルダーの書斎机などもさしあたりは書くためのただの机であった、にもかかわらず、ヘルダーのような人間がそこで執筆していたがゆえに、歴史的に意義あるものとなったのだ。(pp.90-91)
「6」まで行こうかと思ったが、これは次回。
*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091116/1258370011 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091118/1258573653 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091124/1259035863 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091125/1259117601 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091130/1259594080 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091201/1259668014 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091208/1260246416 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091212/1260644088 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091216/1260993224 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091223/1261595612 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091228/1262014708 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100105/1262716242 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100110/1263146695
*2:このセンテンスに対しては、取り敢えず?をマークしておく。なお、複数の道具の組み合わせ、「調度」の問題は、p.92ff.で論じられている。