人間・動物・固有名(メモ)

承前*1

共同存在の現象学 (岩波文庫)

共同存在の現象学 (岩波文庫)

カール・レーヴィット『共同存在の現象学』、II「共同相互存在の構造分析」第一部「共同世界と「世界」ならびに「周囲世界」との関係」第3節「「生」の四つの根本的意義とその連関」の続き。


この両義的な生物である「人間」はすでにその誕生にさいして、したがってじぶん自身を所有し(zu eigen)、じぶんに固有な(eigen)なまえを使えるようになる遙か以前に、じぶんの固有名(Eigenname)を有している。ここで問題となる命名の行為はたしかに、さしあたりは外的な名称賦与にすぎないとしても、このことは理念からすれば本質的なことがらである。いまだまったく非自立的で、両親に依存している生物であるにもかかわらず、この種類の生物はすでに固有な名を有する、独立で自立的な生物となるべくあらかじめ規定されていることになるからだ。他方、動物に擬似−人称的*2な固有名が与えられることは、その動物が「家畜」として人間にぞくする動物であり、その結果として擬人的な意義はもつが、いかなる人間学的意義も有さないことの反映にすぎない。動物にも固有名が人間によって与えられるとはいえ、その固有名が帰属するのは人間に対してなのである。(p.67)
最後の「動物にも固有名が人間によって与えられるとはいえ、その固有名が帰属するのは人間に対してなのである」。例えば私が自分の犬にカズヒデと名づけようがタカヒコと名づけようがユリコと名づけようが、犬にとっちゃそんなこと知ったことではなく、結局は飼い主である私の自己満足にすぎない。ところで、昔足立区で少女が悪ガキどもにレイプされた挙げ句、殺されて、コンクリート詰めにされるという事件があった。その時、たしか『週刊文春』が未成年だった犯人たちの実名を公表するということをした。『週刊文春』側は野獣に人権はないと自らの行為を正当化した。それを、笠井潔が野獣に実名なんかない、名前を持つ動物はペットだけだ揶揄したことがあった(『ユートピアの冒険』)。
ユートピアの冒険 (知における冒険シリーズ)

ユートピアの冒険 (知における冒険シリーズ)

次に、「人間性」と「動物性」;

(前略)人間の人間性をその動物的な由来から理解しようとすることが、理に悖るばかりではない*3。動物の動物性を人間から理解しようとすることも、おなじく悖理であろう。動物の世界や現存在を――「動物の真なるありかたは人間である」とするヘーゲルの原則にしたがって――人間的現存在の世界からの「欠如的還元」*4によって了解しようとすることは、動物について、動物の現存在にあって人間的なもの、非人間的なものを理解すること以上でも以下でもありえない。動物の現存在を、それにほんらい固有なしかたで理解することはありえないのである。動物はそのありかたにおいて人間とはまったくことなっているのだから、その飛躍は跳びこえられるほかはない*5。動物をその動物性にあって真正に了解することが可能なのは、したがって、そうした異種の現存在のうちへと飛躍して身を置きいれることが人間に可能な場合だけである。そうした移入(Transposition)(であって、ただの想定(Supposition)ではない)が、他の人間ばかりでなく動物に対しても存在するというしだいが、芸術的な把握が効果をもちうることをすくなくともありえそうなものとしているのである。(p.68)
ここではユクスキュルの『生物から見た世界』*6をマークしておく。
生物から見た世界 (岩波文庫)

生物から見た世界 (岩波文庫)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091116/1258370011 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091118/1258573653 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091124/1259035863 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091125/1259117601 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091130/1259594080 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091201/1259668014 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091208/1260246416

*2:人格的?

*3:ここで、マックス・シェーラーの”Zur Idee des Menschen”への参照が求められている。

*4:ここでハイデガー存在と時間』pp.49-50(第10節「人間学、心理学ならびに生物学から現存在の分析論を区別すること」、岩波文庫版、上pp.97-98)、p.56(第12節「内・存在そのものに方向づけることからする世界・内・存在の略図」、岩波文庫版、上pp.109-111)、第49節(「死の実存論的分析と、この現象の可能な他の諸解釈を区別すること」、岩波文庫版、中pp.225-231)への参照が求められている。

*5:飛躍を跳びこえるというのはちょっと変。しかし、ギャップとか断絶を跳びこえるということであるなら、それはキルケゴール的思考。また、他の「限定された意味領域」への移行は「キルケゴール的跳躍(Kierkegaardian leap)」によるしかないと述べたシュッツ(”On Multiple Realities”)を思い出してしまう。

Collected Papers I. The Problem of Social Reality (Phaenomenologica)

Collected Papers I. The Problem of Social Reality (Phaenomenologica)

*6:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050721 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081027/1225074961 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090727/1248714718