http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2009/11/_php_2.html(Via http://d.hatena.ne.jp/jiangmin-alt/20091204/1259855713)
加藤弘一氏曰く、
「漢字が軍国主義を助長したという左翼の神話」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091103/1257275112で言及した円満字二郎『人名用漢字の戦後史』では、中島健蔵の私的な回想に言及されている(pp.70-71)。体制側が難しい漢字を使って、人民を威嚇したというもの。でも、難しい漢字によって脅されることができるというのは、実はその漢字から何らかの意味なりイメージなりを喚起する能力があるからだ。ほんとうに無学な人間を難しい漢字によって威嚇することはできない。というか、丸谷才一先生いうところの〈祝詞〉的言語観(Cf. 『桜もさよならも日本語』)*1或いは鶴見俊輔のいう「言葉のお守り的使用法」(安田敏朗『「国語」の近代史』pp.214-216から孫引き)が問題だった筈なのに、その言語観を反省することなく、責任を文字にスケープゴート的に負わせてしまったということなのでは? 悪者に仕立てられた、さらには〈戦犯〉とされた難しい漢字を使った言葉が禍々しさを発揮するのは、実はそれが音声に転化されたときだろう。音声化された漢語は日本語に(ちょうどチャップリンの『独裁者』におけるハナモゲラ独逸語のような)威張りくさった空元気を注入するのだ。こういう言葉は、漢字をやめて仮名書きすると、さらに意味から解放されて、マントラ化していく。もうそれはノーマクサンマンダラと同じなのだ。
幕末から1980年代まで漢字廃止運動という妖怪が日本を跋扈していた。戦前は「我が国語文章界が、依然支那の下にへたばり付いて居るとは情けない次第」(上田萬年)というアジア蔑視をともなう近代化ナショナリズムが、戦後は漢字が軍国主義を助長したという左翼の神話(実際は陸軍は漢字削減派だった)が運動のエネルギー源となり、実業界の資金援助を受けてさまざまな実験がおこなわれた(キーボードのJISカナ配列はその名残である)。1946年に告示された1850字の漢字表が「当用」漢字表と呼ばれたのも、いきなり漢字を全廃すると混乱が起こるので「当面用いる」漢字を決めたということであって、あくまで漢字廃止の一段階にすぎなかった。
当用漢字表の実験によって漢字廃止が不可能だという認識が広まり、1965年に国語審議会は漢字仮名交じり文を認める決定をおこなったが、漢字廃止派はこの決定を正式の文書にすることに徹底抗戦して会長談話にとどめた。
不可能だとわかりきっているのに漢字廃止運動が注目されつづけたのは書類作成の非効率のためだった。契約書などの正式な文書は和文タイプで作成されたが、英文タイプと違い和文タイプは時間がかかり間違いが多い上に、習得に桁違いの根気を要した。日本語ワープロが普及すると書類作成の困難は解決し、漢字廃止運動は自然消滅していった。
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とも言っている。
ソシュールが文字を研究対象からはずすと宣言したことに代表されるように、言語学では文字はまま子あつかいされてきた。欧米の言語学の移入からはじまった日本の国語学(最近は「日本語学」と呼ぶようであるが)もそうである。言語とはまず音声であり、文字は音声のコピーにすぎなかった。漢字は音声のコピーですらないと考えられていたので、能率を求める近代社会の要請を背景に、無視どころか積極的な排撃の対象となった。いわゆる漢字廃止論である。国語学の世界では長いあいだ漢字廃止論者が一大勢力を誇っていた。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2009/11/post_170.html
*1:または散文精神の欠如。