「リストラ」?

http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368


海部美知さんの書くものというのはこれまでは共感的・肯定的に言及してきたのだが*1、今回のは??だな。
日本語の「リストラ」案として、


1. 敬語のうち、「尊敬語」と「丁寧語」だけ残し、「謙譲語」は廃止。これって、日本人でも本当にわかりづらく、この誤用のために「ファミレスの店員の日本語がなっていない」といった、無用な文化摩擦を引き起こすし、百害あって一利なし。昔の複雑な身分制度があった時代に必要な言語体系だったのはわかるけれど、今は「相手を尊敬する、丁寧に言う」だけがあれば、相対的に自分を「謙譲」していることになるので、それでいいじゃないかと。
2. ひらがなだけを残し、カタカナは廃止。カタカナは外国語由来の言葉に使うっていったって、どれがそうなのかいちいち覚えなければいけないし、またなんで区別する必要があるのか、意味不明。水村美苗さんの本だったか、「かつてカタカナは、漢文を読み下すのに使われていた文字で、男・権威のある人が使うカナであったのに対し、ひらがなは女子供の文字だった」という話を読んで納得した。そういえば、明治憲法はカタカナで書いてある。その「外国からはいってきたものの権威」が、戦後残滓として残ったのが、「外国語はカタカナ」ということじゃないかと思う。だったら、もういいじゃん、いまどきそういうのなくても。全部ひらがなで統一しちゃおうよ。本当に外国語であることを強調する必要があるなら、アルファベットでそのままスペルする。アラビア語とかでもアルファベット表記に統一しちゃう。そのほうが、「これってスペル何?」といちいち調べる必要がなくて楽。
3. ひらがなによる長音表記はすべて「−」で統一。「おおかみ」と「おうさま」はどうして表記が違う??どうして「お」と発音するのに「う」なのか、どれとどれだけ例外の「お」表記なのか、どうしてそうなるのか、子供に聞かれても説明不能。どっちも「おーかみ」「おーさま」でいいじゃん。助詞の「は」とか「へ」とかも、音どおりに統一したほうが簡単。
4. 一枚、一匹、一羽、一本とか、数え方の数が多すぎて覚えられない。「謙譲語」と同じ問題を引き起こす。これも、大幅にSKUを減らす。
5. 「簡素化」というと真っ先に槍玉にあがる漢字については、日本人の「対中国語戦略」の一環としてむしろあまり減らさないほうがいいので、外国人の人には頑張って習ってもらおうかな・・・これについては少々まだ迷いあり。習うのは大変だが、いざとなれば中国語で書いてあるものが読めるというのは、いろんな意味で便利でもあり、日本語習得者の優位にもなるので・・・
先ず、このスタイルを自らのエクリチュールの仕方として、自ら使っていただきたい。ご自由に。そして、多くの人がそれをかっこいい、coolだと感じれば、自然とそれは日本語の主流となっていく。具体的な細部云々というよりも、個別的なエクリチュールディスクールではなく言語(langue)そのものを計画し、それを上から制度的水路を通じて人民に押しつけていくという「社会主義」的(笑)*2言語観が拒絶されるべきだろう。その意味で、

kaka 2009/10/31 21:19
日本語自体を簡素にする事で日本語話者が大きく増えるのだろうか?根本的な疑問があります。
フランス語など、どの言語にも不合理な慣例が多くありますが、それが言語の深みにはなることはあっても話者の増減とは余り関係がない気がします。
筆者の提言する変化は、簡素化というよりも幼児化という感じがします。
比較的システマチックな韓国/朝鮮語(ハングル)も覚えやすいから云々という事はないですし。
結局必要性にかられて自然に変化する状態を積極的に受け入れる事はあっても、人工的にルールを決める事はゆがみをもたらすだけで益が少ない気がします。
簡略化や国産の漢字熟語、外来語の輸入などは下からの変化です。上からの強制(常用漢字など)は歪み以外にもたらした物はあるでしょうか?
日本語話者の増加は結局魅力ある国・文化を発信し、学びたい人をサポートするという事しか無いのではないのでしょうか。
サポートという意味で様々な試行錯誤があるのは理解致しますが日本人全体にそれを教育するのは意味が無い気がするのです。
なお、コメにある漢字へのルビ表示は大いに賛成です。常用漢字規制などは撤廃して昔のように難解漢字にはルビで対応するべきだと感じます。
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368#c1257049160
というコメントは共感するところが多い。
「謙譲語」について。私は謙譲語は、拙著とか拙稿というのしか使わない。会社員の人で必須なのは弊社か。また、「させていただく」という、なんちゃって謙譲語*3もあまり使わない。謙譲表現で問題になるのは、寧ろ例えば〈社長はまだいらっしゃっていません〉とクライアントに対していうのが正しいのかどうかということですよね。因みに、篠田浩一郎氏が昔日本語の特性として謙譲語の存在を挙げて、それを天皇制に結びつけていたが(『仮面・神話・物語』)、それはちょっと理路の飛躍が過ぎるのではないかと思ったことがある。「ひらがなだけを残し、カタカナは廃止」。「本当に外国語であることを強調する必要があるなら、アルファベットでそのままスペルする」。後者については、私も外国の人名・地名は羅馬字の原綴りを併記しろよと言ったことはある*4。但し、それは新聞記者のような言葉を綴って銭を貰っているプロの義務であって、一般人がいちいちそんな面倒臭いことをする義務はないだろうとは思う。また、片仮名はたんに外来語を表記するだけではなく、擬音語や擬態語を表記するのにも多く用いられるように、意味よりも音を露呈させるために用いられることがあり、日本語のエクリチュール技術としてはこちらの方が重要なのではないかと思う。それから、教養のある英国人や米国人の文章では希臘語や羅典語が英訳されずに英語に混ぜられるということは屡々だが、その場合、希臘語や羅典語を片仮名で訳して、英語を平仮名で訳すというのはけっこう当たり前の翻訳技術であるように思う。
「長音表記」について。大きいが〈おうきい〉ではなく〈おおきい〉と書かれるのは正仮名では〈おほきい〉と書かれていたからです。遠い(とほい)も同じ。「長音」*5を「ー」で表記するというのは実は1970年代に女子中学生の間で流行っていたことがある。但し、実践していた本人たちも飽きてしまったのか、或いは上からの教育的指導のためなのか、既に廃れてしまった。助詞の「は」「へ」に関しても、ハード・コアな表音主義者では「わ」「え」と書く人はいるけれど、主流にはなっていない。だから、書きたければそう書けば? 俺は嫌だけれど。
「簡素型日本語」の導入というのは1980年代にも言語学者野元菊雄によって提唱されたことがあるけれど、その帰結というのは(一見移民などに優しいように見えて)連続的・相対的なリテラシーの格差を非連続的・絶対的なものとして固定してしまうことだろう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080814/1218687009 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081011/1223690774 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081207/1228630321

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091031/1256930849

*3:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080909/1220977845

*4:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091021/1256094244

*5:日本語で長音と二重母音の区別って何なんだ? えいとかいいは実際は長音を発音しているのに、羅馬字で書くときは二重母音扱いして、ei、iiと書く。