謙譲語だった

承前*1

日本語において、他人に対する呼称(「奥様」、「君」、「お前」、「貴様」etc.)は常にインフレ傾向にあるわけだけど、その一方で、自称(一人称)の多くはそもそもが謙譲語だったわけだ。例えば、拙者。また、もシモベという意味。大和言葉のワタクシはわからないけれど、漢字を宛てたが謙譲的な表現だったということは間違いない。
藤田弘夫「空間表象から見た公共性の比較社会学――社会理論から公共性論へ――」*2に曰く、


(前略)漢語の私は曲私、利己などの反倫理的意味をもっているといわれる。このため「公平無私」の世界が求められた。中国は何よりも公を重んじてきた。孫文礼記の「天下為公」を近代化の大きな課題とした。日本では中国ほど、私が貶められているわけではない。私はワタクシとして、ひっそりと世間を騒がせない程度で生きることは許される。しかしそれでも、私に積極的な意味があるわけではない。私は「私小説」のように公の陰で遠慮がちに存在が許されるものなのである。人びとの活力は私を滅して、公に捧げられるべきである。戦争中はとくに「滅私奉公」が叫ばれた。日本や中国の私は「私利私欲」に象徴される。日本の知識人は中国の古典的教養を尊ぶ。すると、日本人は教養を高めれば高めるほど、私は貶められることになる。(p.19)
また、「東アジアでは「天下為公」、「大公無私」(礼記)「破私立公」(毛沢東)と「私」に関して、性悪説ともいうような考えがある」(p.26)。

Francis_Deacon 2018/02/03 02:22

「おかみさん」を略して「カミさん」と呼ぶのですかね。

「うちのカミさんが」(byコロンボ)みたいに。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180202/1517503861#c1517592144

これも謙譲表現じゃないですか。身内に尊敬表現は使えないという規則に従って、「お」が取られる。