羅馬への衝撃

承前*1

アングリカンの分裂が決定的なものとなり、分裂した保守派をカトリックが引き取るということ。アングリカンの分裂は実は英国王権の正統性の危機をももたらしかねないのだが、日本ではあまり関心を持たれてはいないのだろうか。さて、


Andrew Brown “The end of the Anglican Communion” http://www.guardian.co.uk/commentisfree/andrewbrown/2009/oct/20/religion-catholicism


ここでは今回の教皇教令の、〈ヴァティカンへの衝撃〉について言及している部分を引用してみる;


But this is a huge coup for Rome. They may not get the churches – and they certainly don't want to have to pay for them – but they get so much more. For a start, this establishes a tradition of married Roman Catholic clergy in the west. The language, the services, and the gorgeous choral music of Anglicanism are more obviously attractive, but the real long term significance of this announcement is the talk about seminaries. Those who leave now will not be the last Anglican Catholics.

If the former Anglicans can train up successors who will also be able to have wives, the Roman Catholic church may have found a way to escape the prospect of a largely gay priesthood to which the doctrine of compulsory celibacy appeared to condemn them. It is ironic that Anglican efforts to deal honestly with the problem of sexuality should have provided the Catholics with the excuse they needed to strike this decisive blow. God always did move in mysterious ways.

今回の教令は保守派のアングリカンの信者だけでなく、典礼込みで聖職者もカトリックが引き受けるもの。アングリカンとカトリックの差異のひとつは聖職者が結婚可能か不可能かということ。但し、カトリック内部でも独身主義に関しては色々と論争があり、結婚と引き替えに還俗(そして、プロテスタントへの改宗)を選択する聖職者も少なくない*2日本で名が知られている人だと、〈解放の神学〉を唱えていた、元上智大学教授のルーベン・アビトという方。彼は結婚のため、還俗・プロテスタントへの改宗を行い、米国の某プロテスタント系の大学の先生になった
今回カトリックに合流するアングリカンの聖職者も離婚を要求されているわけではない。今後アングリカン系カトリックが〈結婚可能な聖職者〉という伝統を打ち立てることができたなら、結婚を希望するカトリック聖職者は〈カトリック化したアングリカン〉の方へ流れることもありうるのでは?


聖職者の独身制について、神学的には色々な議論や説明があるのだろうが、社会学的な説明としては、たしかタルコット・パーソンズ(”Christianity”)が、世俗社会が〈世襲〉の原理で動いていた時代において、カトリック教会は〈世襲〉原理を拒否することによって自らと世俗社会との境界を画定したと述べていた筈。これについては、山内進『十字軍の思想』もマークしておかなければなるまい。勿論、〈世襲〉原理を拒否することによって自らと世俗社会との境界を画定するというのは仏教僧侶の独身制にも当て嵌まるだろうけど。

Action Theory and the Human Condition

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十字軍の思想 (ちくま新書)

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中世ヨーロッパにおいて、建前としては独身制であったが、高位聖職者は公然と愛人を持っていたし、下位の聖職者にもメイドという名目で妻がいることが少なくなかった。しかし、それはあくまでも〈こそこそ〉であった。永田諒一『宗教改革の真実』によれば、宗教改革が聖職者のレヴェルで迅速に支持を得ていった理由のひとつは、当時の聖職者に堂々と陽の当たる場所で結婚生活をしたいという欲求が強かったことである。
宗教改革の真実 (講談社現代新書)

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