死後の悪評

マキァヴェッリ: 『君主論』をよむ (岩波新書)

マキァヴェッリ: 『君主論』をよむ (岩波新書)

鹿子生浩輝『マキャヴェッリ』から。
ニコラ・マキャヴェリ*1 が手段を択ばない権謀術数という意味での「マキャヴェリズム」の提唱者であるという誤解の起源を巡って。


(前略)フランスにおける一五七二年の「聖バルテミーの虐殺」は、マキャヴェッリに対する痛烈な非難を生じさせた。ユグノーに対するこの虐殺の首謀者は、カトリーヌ・ド・メディシスであると目されている。彼女の名前をイタリア語読みすれば、カテリーナ・デ・メディチであり、彼女の父親のロレンツォ・デ・メディチこそ、かつてマキャヴェッリが『君主論』を検定しようとした人物である。そのためマキャヴェッリは、メディチ家に虐殺を指示した極悪人であるかのように考えられたのである。
こうした事情から、フランスに限らず、多くのプロテスタントにとっては、マキャヴェッリは、カトリック側からメディチ家に邪悪な思想を教え込んだ人物とみなされた。この考えの背後には反イタリアの感情もあった。しかも、いったんこうした解釈が成立すると、プロテスタントに限らず、多くの人々がマキャヴェッリを邪悪な人物、策略家、詐欺師として理解した。しかしこの理解は、彼の著者区を丹念に読み込んだからというより、彼の名前が当時の政治的レッテル貼りに利用されたために生じたと見るべきだろう。マキャヴェッリに対するこうした悪評は、少なくとも彼の生きた時代には見当たらない。(「はじめに」、pp.ii-iii)
君主論 (中公文庫 D 16)

君主論 (中公文庫 D 16)