ハマコーでもハマショーでもなく

『朝日』の記事;


受刑者は性同一性障害、「配慮を」 日弁連が勧告

2009年10月21日21時53分


 日本弁護士連合会(宮崎誠会長)は21日、性同一性障害の男性受刑者からの申し立てに基づき、黒羽刑務所(栃木県大田原市)に対し、医師によるカウンセリングや女性用の衣服の着用、長髪を認めるよう人権救済を勧告した、と発表した。法務省にも、女性刑務官による処遇などの検討を求めた。

 勧告書などによると、この受刑者は07年1月から同刑務所に男性として収容されていた。肉体的には男性だが、幼少時から女性の自覚を持っていた。戸籍の名前は女性風に変えたが、性別は変更していなかった。

 当初は衣服や下着は女性用を着用し、長髪も認められていたが、同年11月に男性職員を殴って骨折のケガを負わせたことから、衣服は男性用に変更され、配慮はなくなった。

 受刑者は、この暴行事件で有罪判決を受けた後、静岡刑務所に収容中。女子刑務所への移送も訴えていたが、日弁連は「肉体的には男性であり、他の受刑者のことも考えると難しい。人権侵害とまでは言えない」として勧告には盛り込まなかった。

 一方、刑務所側は「身体上、戸籍上は男性であり、社会復帰した際、男性として扱われても感情を爆発させることなく自己実現を図る能力を付けることが矯正の目標」としている。

 法務省矯正局は「必要で可能な配慮はしているが、勧告内容をよく見て今後のあり方を考えたい」としている。
http://www.asahi.com/national/update/1021/TKY200910210426.html

これは線香屋*1よりも悪質だといえる。線香屋の世界観においては「性同一性障害」という事象は存在しないが、刑務所的世界観では取り敢えずは「性同一性障害」は認めているものの、(記事を読む限り)〈報復〉*2として配慮をキャンセルしているからだ。
「男性として扱われても感情を爆発させることなく自己実現を図る能力を付けること」――この中の「男性として扱われても」に他の事柄を代入して、例えば


セクハラをされても感情を爆発させることなく自己実現を図る能力を付けること


とか


人種差別されても感情を爆発させることなく自己実現を図る能力を付けること


というのも妥当だと、「刑務所側」は主張するつもりなのだろうか。記事では「刑務所側」というふうに妙に匿名化されてしまっているが、実際に答えたのはまあ普通に発生器官を持った生身の人間なのだろう。彼/彼女は例えば目の前で自分の家族が殺されたとして、〈目の前で家族が殺されても〉「感情を爆発させることなく自己実現を図る能力を付けることが矯正の目標」とか言われて、従順に「矯正」に従うのかな? 
また、この「受刑者」がコミットしたという「男性職員」に対する傷害事件というのは(何かに反応して)「感情を爆発させ」て「自己実現を図」ってしまったということだったのではないかと疑うのというのはそれなりに自然なことだと思われるが、如何だろうか。
ここで『時計じかけのオレンジ*3を喚起するというのはちょっと凡庸か。

時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)

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See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080721/1216572422 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080816/1218902725 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090206/1233860391 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090618/1245297818


性同一性障害」といえば、数年前に林道義のトンデモ言説*4が話題になっていたということを思い出した。