金大中

85歳か。
『朝日』の記事;


金大中・韓国元大統領が死去 東京で拉致・初の南北会談

2009年8月18日20時5分

 【ソウル=箱田哲也】韓国を代表する政治指導者で、南北朝鮮の和解・交流や日韓関係改善に尽くした金大中(キム・デジュン)元大統領が18日午後1時43分、多臓器不全などのため、入院先のソウル市内の病院で死去した。85歳だった。60年代から民主化運動のリーダーとして軍事政権に抵抗し、73年には東京で拉致されて九死に一生を得ながら、97年に4度目の挑戦で大統領に当選。初の南北首脳会談を実現させるなど激動の生涯だった。

 李明博(イ・ミョンバク)大統領は「偉大な政治指導者を失った。民主化と民族和解に向けた故人の熱望と業績は、国民に長らく記憶されるだろう」と哀悼の意を表した。北朝鮮メディアは18日夜までに報道していないが、金養建・朝鮮労働党統一戦線部長ら党幹部が弔問に来る可能性が指摘されている。

 金大中氏は在任中、対話をもとに北朝鮮の体質変化を目指す「太陽(包容)政策」を掲げ、北朝鮮金剛山観光など南北事業を次々と推進。00年6月、韓国大統領として初めて訪朝し、平壌金正日キム・ジョンイル)総書記と会談して南北共同宣言に署名した。00年12月には民主化運動と南北和解への貢献が評価され、韓国人として初のノーベル賞(平和賞)を受賞した。

 対日関係の改善にも功績を残した。98年10月、大統領就任後初めて訪日。故小渕恵三首相との日韓首脳会談で「日韓パートナーシップ宣言」をまとめ、過去の歴史をふまえつつ未来を重視する「未来志向」の日韓関係を訴えた。

 日本の植民統治下の24年に南西部・全羅南道の荷衣島で生まれ、61年5月に国会議員に初当選。直後の軍事クーデターで政権を握った朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の独裁に反対し、71年の大統領選に野党から立候補。妨害工作の中で朴大統領に95万票差まで迫った。

 73年8月、東京のホテルから突然拉致され、殺されかかったが、5日後にソウルの自宅付近で解放された。79年10月の朴氏暗殺後、軍事クーデターで全斗煥(チョン・ドゥファン)氏が実権を掌握。80年5月の光州事件の首謀者として、内乱陰謀の罪で死刑判決を受けた。日米など国際社会の助命運動で減刑、釈放され、米国で事実上の亡命生活を送った。

 85年2月に帰国し、87年6月の韓国の「民主化宣言」直後に公民権を回復。97年末の大統領選で政敵だった金鍾泌キム・ジョンピル)元首相と組んで与党候補を破り、98年2月から5年間務めた。
http://www.asahi.com/international/update/0818/TKY200908180242.html

そういえば、1980年から1981年にかけて、2週間に1回のペースで金大中氏救援のデモがあった。そして、「死刑判決」のニュースを聞いたときにはやはり落胆した。
ところで、当時韓国を巡って、金大中らを誹謗しつつ〈全斗煥将軍天晴れ!〉とか言っていた連中及びその後輩たちが現在〈嫌韓〉言説を紡ぎ出しているのだということは述べておかなければならない。

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070219/1171856820 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080812/1218480360
また、最近の発言については、中国の新聞からの引用であるが、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090610/1244593683