花田清輝から

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「党に対して面従腹背の気味もあった花田が、60年安保闘争を全力で戦った当時の全学連を指導した共産主義者同盟の解体をまるで待っていたかのように、構造改革派(小泉の構造改革とは全然関係ない)と呼ばれた、社会主義革命を主張する当時の共産党内の左派グループとともに集団で除名されたのには、なにやら 「策士、策におぼれる」 とか 「巧兎死して走狗煮らる」 といった感がしないわけでもない」とある。花田清輝って、構造改革派だったのか。構造改革派として日本共産党を追い出され、後に『現代の理論』を主宰し、社会市民連合(後に社会民主連合に改名)の結成にも関わった安東仁兵衛の『戦後日本共産党私記』には花田のことは言及されていなかったような気がするけど。

戦後日本共産党私記 (文春文庫)

戦後日本共産党私記 (文春文庫)

ここから連想したのは、新日本文学会のこと。花田も新日文に関わっていたが、共産党の傘下にあった新日本文学会共産党から絶縁して、非共産党的左翼の文学団体になった過程と構造改革派のパージとは関係しているのだろうか。新日文関係では、安部公房*1や後にポルノ作家として名を馳せる泉大八共産党を追放されている。それから野間宏も。中野重治の場合は蘇聯派として追放されたわけだが。新日文の共産党からの自立の過程について何もわかっていないことがわかったので、取り敢えず書いておく。
ところで、いいだもも花田清輝は中蘇対立の事実を信じようとしなかったと書いていたように思うが、出典を思い出せない。あれは帝国主義の目を欺くための芝居なのだと。