英国の事情(メモ)

承前*1

コロキウム〈第2号〉―現代社会学理論・新地平

コロキウム〈第2号〉―現代社会学理論・新地平

阿部純一郎「市民権の空洞化と〈同化〉論争――国民の境界をめぐるダイナミクス――」(『コロキウム』2、pp.144-162、2006)の続き。第2節「道具的な帰属/実質的な帰属」(pp.148-152)では、ポール・ギルロイの『ユニオン・ジャックに黒はなし(There Ain’t No Black in the Union Jack)』の議論が紹介される。
先ず「市民権」を巡る英国特有の事情について;


(前略)戦後英国には有色系移民の増大によって動揺させられる「ナショナルな市民権」が元々確立していないのである。戦前に英帝国内の全住民に付与されていた「英臣民」の法的地位は、海外植民地と本国の英臣民が、英国へ出入国および居住する自由を形式上保障していた。この英臣民資格は、戦後の英国国籍法(1948)の下で「コモンウェルス市民」へと名称を変更した後も、英国および旧植民地から構成されるコモンウェルス加盟国の国籍保有者全員に付与された(柄谷[2003:184]*2)。つまり、コモンウェルス市民権は「人種的ないし文化的な特質」を資格基準にしておらず(Favell [2001:102]*3)、それゆえ有色系移民がいったん英国へ入国すると実質的な諸権利が保証されたのは、彼らが「外国人」ではなくて同じ「市民」だったからである。(pp.148-149)

(前略)先の英国国籍法の時点でも、新コモンウェルス諸国(旧有色系植民地)ではなく、旧コモンウェルス諸国(旧白人系植民地)からの移民が多数を占めていた。「共通の地位と自由な移動が植民地の人々に確かめられたのは、1949年から62年までであった」(Goulbourne [1990:95]*4)。この62年はコモンウェルス民法が制定された時期で、それ以降の英国は、国籍法上は同じ「コモンウェルス市民」の中から、誰が英国への入国権・居住権を行使できるのかを移民法が決定する体制に変化する(柄谷 [2003:184])。その対象は、やはり新コモンウェルス諸国に変更していた。(略)戦後英国にはヨーロッパ系志願労働者(European Volunteer Workers)やアイルランド系移民などの「外国人」が多数存在していたのにも関わらず、すでに50年代初頭から未だ数の少ない新コモンウェルス諸国の非白人系「市民」ばかりが集中的に問題視されている。(p.149)
しかし、それだけにとどまらず、「戦後英国の有色系住民は、単に「人種」ではなく、「国民」として異なるとされている」(ibid.)。
ポール・ギルロイの議論;

たとえば彼は、国内の有色系住民についての表象が、「内なる敵(enemy within)」や領土を侵略する異邦人という「軍事的なメタファー」で満ち溢れている点に注目する。それは、英国「内部」における「人種」問題の原因を、あたかも国家間の「国民」の対立へとスライドさせることで、国家の「内部」と「外部」を攪乱させる効果を発揮する。(後略)(pp.149-150)

ギルロイによれば、こうした英国内の有色系住民を「内なる敵」として表象する言説が確立され固定されたのは、60年代後半から80年代にかけてである。その最初の明確な定式化は、保守党議員イノック・パウエルの68年の演説における言葉、「法律上、西インド諸島人は出生に基づいて連合王国の市民になれるが、事実上いまでも西インド諸島人かアジア人である」に確認される(Gilroy [1992:47])。パウエルにおいては、同じ市民の「内部」でも、法的に付与されたにすぎない国民的帰属のあり方と、言語・習慣・文化などの歴史的紐帯を蓄えている帰属のあり方が区分され、前者に有色系住民が強引に重ね合わされる。「こうして黒人の存在が、それに対抗される形で、ひとつの同質的で白人で国民的な『われわれ』が統一される問題ないし脅威として構築されるのである」(Gilroy [1992:49])。(p.150)
「三種類のメンバーシップの相互作用の下で」「黒人住民が「内なる敵」へと畳み込まれる一連のプロセス」;

第一は、「コモンウェルス市民」という法的に規定されたメンバーシップであるが、60年代後半以降、市民権が真の英国人性を実質的に保証するとは次第に認められなくなる。こうして市民権のレベルでは人種主義が否定されながらも、「真の英国人性が保証される前に、黒人は文化的に異質な存在として輪郭づけているもの全てを捨て去るよう求められる」(Gilroy [1992:65])。つまり、純然たる意味での「完全な」同化である。
だが第二に、そこでの文化は「人種」に重ね合わされ、容易に変更できない本質化されたメンバーシップとして立ち現れる。「文化が『人種』の近さに応じてほぼ生物学化されると、文化はこれまで『当たり前の(natural)』長期的なプロセスと見なされていた同化をいつまでも食い止め、妨害する潜勢力を帯びるようになる」(Gilroy [1992:68])。この境界設定の作用をギルロイは「エスニックな絶対主義」と呼んでいる。こうしてどれほど英国に長い間暮らしていても、黒人は「真正な英国人性」に両立しない存在として「不確定の空間(indeterminate space)」に閉じ込められる(Gilroy [1992:45])。
しかし第三に、ギルロイは「黒/白」という二項対立には必ずしも収まりきらない横断的ないし重層的なメンバーシップの可能性も示唆していた。ここで是非指摘しておきたいのは、彼がこの可能性をさらに押し進めて、「エスニックな絶対主義」それ自体の流動性を引き出そうとしている点である。(後略)(pp.151-152)

ところで、仏蘭西における「移民問題」に関して、梅木達郎「国家・無縁・避難都市」(in 『支配なき公共性』)をマークしておく。また、仏蘭西の「移民問題」について初めて読んだ本は、林瑞枝『フランスの異邦人』だったか。

支配なき公共性―デリダ・灰・複数性

支配なき公共性―デリダ・灰・複数性

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090702/1246508928

*2:柄谷利恵子「英国の移民政策と庇護政策の交錯」 in 小井土彰宏編『移民政策の国際比較』

*3:Adrian Favell Philosophies of Integration: Immigration and the Idea of Citizenship in France and Britain

*4:Harry Goulbourne Ethnicity and Nationalism in Post-imperial Britain