欲望は換喩的に、とか

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/3a86721522f5bb022dc66b0d44fee993


取り敢えずマークしておく。「児童ポルノ禁止法」「改正」案(与党案)における「単純所持」禁止を巡る、葉梨康弘*1(提案者)とアグネス・チャン参考人?)との保坂展人氏の問答。
ところで、ここにいう「児童」というのはあくまでも法律用語であって、現実には18歳未満の人たちを均一的な「児童」というカテゴリーとして捉えている者は誰もいないだろう。
「単純所持」の禁止というのは論外だけど、「児童ポルノ」問題というのはhttp://d.hatena.ne.jp/rna/20071016/p1におけるなんばさんの論*2に尽きていると思う。教育を初めとする政策・施策が個々人の「自己決定能力」を向上させる方向でなされるべきだというのは論を俟たないだろう。しかし、一律に「18歳以下の少女ヌードは認められない」(アグネス)というのは、「少女」の「自己決定」を抑圧し、「自己決定能力」の向上を阻む方向で機能することになるだろう。どう考えても。
さて、「児童ポルノ」「単純所持」禁止となると、帰結としては、官憲が別件逮捕のためのオールマイティに近い口実を手にするということ、悪質な「児童ポルノ」はさらにアングラ化し・不可視化するということが考えられる。さらにいえば、(「児童ポルノ」に限ったことではないが)人間が何に対して性的に反応するのか、萌えるのかというのは予め決定不可能であろう。換言すれば、どんなイメージもポルノ的に享受することは(原理的に)可能である。また、フロイトの『夢判断』が明らかにしていることのひとつは、性的欲望或いはその対象はリテラルにではなく、フィギュラルに、つまり隠喩的或いは換喩的に表象されるということだろう。これを(少し強引に)敷衍すれば、仮令服を着て、裸体や性器などの性的対象が隠されていたとしても、その裏、その上、その下というような仕方で、つまり換喩的な仕方で、性的対象は喚起されてしまうということになる。ポルノを完全に禁止したかったらイメージそれ自体を禁止するしかないわけだが、これは〈人間〉を禁止することに等しいだろう*3

夢判断 上 (新潮文庫 フ 7-1)

夢判断 上 (新潮文庫 フ 7-1)

夢判断 下 (新潮文庫 フ 7-2)

夢判断 下 (新潮文庫 フ 7-2)

児童ポルノ」を巡っては、ほかにhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071101/1193896416 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080315/1205588068 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080421/1208714162 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080805/1217870245 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080930/1222710736 を参照のこと。

関係はないのだが、Santa Feという場所が〈複雑系〉研究の拠点だと知ったのは、篠山紀信宮沢りえの写真集のずっと後(See ワールドロップ『複雑系』)。

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

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