「児童ポルノ禁止法」再び

前回の「児童ポルノ禁止法」改正案は麻生太郎政権の崩壊によって廃案になったが*1自民党政権が復活して、5月末に自民党公明党日本維新の会によって「児童ポルノ禁止法改正案」が衆議院に提出された*2
それに関して、『ハフィントン・ポスト』(日本版)に乗った幾つかの記事をメモ。


安藤健二児童ポルノ禁止法改正案は「21世紀の焚書山口貴士弁護士が警告」http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/14/yamaguchi_takashi_interview_n_3439572.html


山口貴士弁護士へのインタヴュー記事。
改正案の「児童ポルノ」の定義の曖昧さについて;


ところが、児童ポルノ禁止法における「児童ポルノ」の定義は、極めて曖昧です。児童ポルノの定義を記した第2条には「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という表現が繰り返し出てきます。しかし、本来は児童ポルノ禁止法の立法趣旨は、第一条で書かれているように「児童に対する性的搾取及び性的虐待」から児童を守るというものです。見た側がどう感じたのかを基準にするのは本来おかしいです。問題は、児童が性的に虐待されているか、撮影行為自体が性的搾取であるかどうかであって、見た側が性的に興奮しているかどうかではないはずです。

−−−なぜ、そのような主観的な定義で全てが決まる法律が出来てしまったんでしょうか?

山口氏:日本における表現規制の刑法における「わいせつ」のイメージが立法府の人から抜けなかったためです。当時、日本における絵や写真を取り締まる規定としては、わいせつしかありませんでした。そういう形で作ってしまった結果、被害者がいることを前提とした法律なのか、風営法的な社会な風紀や秩序を維持するために法律なのかが、分かりにくくなったことは否めません。

元はと言えば、1999年に児童ポルノ禁止法が制定されたときに、児童ポルノという言葉を使われてしまったこと自体に問題があったと思います。ポルノという言葉を使っているから「漫画やアニメはどうなのか?」って話になります。その意味では、本来の児童保護の範囲から離れて表現規制をしたい人々にとっては、うまい言葉を使ったと思います。本来の児童ポルノとは、性的虐待行為を撮影したり、撮影行為そのものが、児童に対する性的虐待や性的搾取である物を指すわけですよ。でも、単なるポルノにはフィクションも含まれます。こうして、漫画やアニメなども含めた表現規制にまで範囲がどんどん拡大していくことについての抵抗感がなくなった原因の一つであると考えます。その意味で僕は、児童ポルノという言葉自体やめて、児童性的虐待描写物等、児童ポルノに替わる新しい言葉を使うようにすべきだと思います。


山口浩*3「嫌いな表現を守るということ」http://www.huffingtonpost.jp/hiroshi-yamaguchi/post_4858_b_3338561.html


これは法案提出以前の文章。なので、「改正案」の内容はみんなの党山田太郎氏が自民党高市早苗から説明を受けた際に入手した資料を参照している*4。山口浩氏が問題にするのは「附則第2条」。ここでは「漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像」、つまり東京都の「
青少年健全育成条例*5で問題になった所謂「非実在青少年」についても「調査研究」を進めるという条項。
山口貴士氏の説明によると、「児童」の人権擁護(性的搾取の防止)なのか所謂〈公序良俗〉の維持なのかが曖昧になっているのが問題だとわかるが、山口浩氏は、「改正案」「を作った人たちの関心は、子どもの保護そのものよりも、表現行為の規制にある」と言い切っている。また同じく自民党が進める改憲にしても9条だけでなく、寧ろ眼目は例えば「表現の自由」のような「国民の権利」の制限にあるのではないかという。
See also

Chika Igaya「児童ポルノ禁止法改正案がクールジャパンを殺す? 漫画家、赤松健さんにその問題点を聞く」http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/02/story_n_3373446.html