「0.5歳」

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「うさこ」さんがジョナサン・デミの『フィラデルフィア』について述べている;


わかりやすい正義をわかりやすく提示する清潔な作品である。ひとびとの不快を招くであろう要素は注意深く漂白され、エイズで解雇された同性愛者の弁護士のこうむる法的不当が伝えられる。啓蒙的にも大きな成果をおさめた。

とはいえ病と性の領域においてひとびとの拒絶を引き起こすものは、しばしばごく具体的な個別性であり、「のぞましい光景」に値しない要素すなわち「醜さ」であり、わたしたちの所作に埋設された社会的規範からの逸脱である。いいかえれば圧倒的に身体性のうえにあらわれる。だがその不快に抵触する描写は最小限におさえられている。恋人同士のキスさえない。主人公は痩せるにつれて逆に美しくなり、かれの身体は悲劇的な英雄性を帯びる。設定上も、当事者の親族は全員、愛と相互理解の透明な和のなかにある。かれらをとりまく社会的葛藤の気配もきれいに掃除されていた。

また、

想定されている観客の精神年齢は十三歳――つまり米国社会である。この作品はその社会的年齢を〇・五歳ほど引き上げることに貢献したのかもしれない。
とも。
ここで「うさこ」さんは専らトム・ハンクスの方に焦点を当てているのだが、私はこの映画に関しては寧ろデンゼル・ワシントンの印象が強かった。というか、デンゼル・ワシントン=「優等生」というイメージ*1が固められたのは『フィラデルフィア』によってだった。この映画では、ホモ/ヘテロという性における対立とともに白人/黒人という人種の対立が物語を織りなしている。そして、人種の対立においては、デンゼル・ワシントントム・ハンクスを助け・導くという仕方で、黒人が優位になっている。