スティーヴ・マックィーンから石原裕次郎へ?

「うさこ」さんによる『華麗なる賭け(The Thomas Crown Affair)』

The Thomas Crown Affair [DVD]

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のレヴュー*1に曰く、

この映画は一種の「カタログ・ムービー」を構成している。えがかれるシーンはポロ、ゴルフ、グライダー、海辺の別荘、オープンカーに焚き火、執事のいる屋敷、暖炉にチェスと、いかにも他愛がないけれど、それは、じつのところアメリカの庶民層にとっての成功のカタログであったはず。

このあまりにも単純化された物質的憧憬は敗戦国の渇望をまきこんで、いまも波のようにくりかえされている。やれやれ。徹底的な物質性に還元されたかたちで表現されるアメリカの上昇志向は、そもそも欧州の伝統的な文化から精神性を切り離して成立したもののようにみえるのですけれど。うえに羅列した「カタログ」をみて。アメリカナイズされているけれど、イギリスの中上流の表層そのものでは?

たしかに米国のトラッドなファッションは、Brooks BrothersにしてもPaul Stuartにしても、ブリティッシュ・トラッドの模倣から始まっており、それは米国の特に東海岸エスタブリッシュメントたちの「イギリスの中上流」への憧れを反映はしているのだろう。この映画が封切られた1968年は、Calvin KleinやRalph Laurenがブランドを立ち上げた年であり*2、今や紐育のブランドといえば、最初に挙げたBrooks BrothersやPaul Stuartというよりも、Calvin KleinやRalph Lauren、さらにはDonna Karanを真っ先に思い浮かべる人の方が多いのではないか。
というかこのレヴューを読んで、戦後日本における石原裕次郎の国民的人気の謎を解く端緒に辿り着いたという感じがしたのだ。石原裕次郎が戦後日本を代表するスーパー・スターのひとりであることは間違いない。石原慎太郎だって、その人気の数割かは〈弟の七光り〉であろう。しかし、私は、石原裕次郎のスターとしてのカリスマ性というのを全然感じたことがないのだ。ただのデブオヤジだし、演技も巧いとはいえず、歌もはっきり言って下手だ。何故あれが戦後を代表するスターなのか。しかしながら、私よりも上の世代にとっては、裕次郎のスター性というのは自明なものであるらしい。「このあまりにも単純化された物質的憧憬は敗戦国の渇望をまきこんで、いまも波のようにくりかえされている」ということに関係があるか。そして、その舞台としての〈殖民地としての湘南〉*3