敵の敵は

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090227/1235705016http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090303/1236060278に関連して。

松尾匡新社会党のどこが問題なのか」http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_210171.html


2002年のテクストだが、松尾匡氏が「新社会党」などの旧社会党左派に関して、その「主敵のライバルにつく傾向」を批判している。曰く、


そして、少数派の孤立した闘いでは元気がでないからこそ、主敵のライバルにつくという傾向が生まれる。
 ソ連は、主敵アメリカのライバルだったからこそ、いろいろあるかもしれないが足をひっぱらないよう目をつぶってきた。社会党は、自民党のライバルだったからこそ、右傾化する指導部にさんざん食い物にされながら、最後までくっついてきた。というわけである。
 新社会党に行った人々はまだこの点まともだったのであって、かつて同じ社会主義協会系であった少なからぬ人々が民主党に流れたのは、正にこの根本態度そのものが原因だったと言えよう。右派側からする「偽装転向」なる邪推は成り立たない。転向どころか基本的態度は全く変わっていない。主敵自民党のライバル民主党のために、最後までつくしてくれるだろう。
そして、

このような態度はこれまでは社会運動全体の発展にとってそれほど障害ではなかった。むしろ、多少の違いを超えた共闘に柔軟であったという点で、プラスに働いてきたと評価できる。
 しかしこれからはこの同じ態度がマイナスに転化するのではないかと危惧している。
 何度も強調してきたように、冷戦後の極右は反資本主義的主張をかかげて大衆からたちのぼってくる。ルペンや小林よしのりがそのさきがけであるが、これから冷戦時代の記憶の薄い活動家がこれらの運動に加わってくるにつれて、ますます「私は右」とは言わなくなり、資本主義批判のトーンが鮮明になってくるだろう。
 こうした運動が盛り上がってくるのを目にして、「グローバル資本主義への反発がこんなに高まった」と、自分達を元気づけるためのネタに使ったらどうなるだろうか。主敵たるグローバル資本主義に対抗するために、手を組もうなどと発想しはしないだろうか。内心マルクス主義への自信が揺らいでいるものだから、ますます無節操に反米・反資本主義なら何でもいいと言うことになりはしないか。そうした態度を、ソ連の教訓を踏まえた柔軟な態度と勘違いしはしないか。
勿論、「喜八」なる人が元社会党左派だったかどうかは知らない。しかし、「無節操に反米・反資本主義なら何でもいい」の蔓延の一端であることにはちがいないだろう。
ただ、そもそも敵の敵は味方というのは政治的な戦術としてはありふれており、また元々左翼だった人が「主敵たるグローバル資本主義に対抗するために」右と接近するというのは別に日本に限定されていることではないだろう。なお、この背景において右から左にアプローチをかけているのが佐藤優ってことになるのでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20090305にも関係あり?