TOEICが350

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090107/1231303330に関係するか。
内田樹氏曰く、


現在の日本の平均的な大学生新入生のTOEICスコアーはたぶん350点くらいである。
これは中学2年生程度の英語力である。
中学高校で6年間英語を勉強してきて、その結果、中学2年生程度の学力しか身につけずに済ませるというのは、よほどつよい動機付けがなければ達成できることではない。
これは教育方法が間違っているとか、教師に教育力がないからだと言ってすませることのできるような事態ではない。
http://blog.tatsuru.com/2009/01/20_1010.php
そうなんですか。これが事実だとして、これは以前からのことなのか、それとも最近の現象なのか。それも問題であろう。その原因について、内田氏は

競争において相対優位を占める「努力」に適正な「報酬」を約束するという「努力=報酬相関システム」の導入によって、日本の子供たちは勉強することを止めた。
利益誘導によって、私たちは子供たちに「学力そのものには何の内在的な価値もなく、それによって得られる報酬こそが一次的に有用なのである」という信憑を刷り込んでしまったからである。
その結果、子供たちは「学力を身につけること」よりも、「学力による序列付けで高いポジションを得ること」を優先させるようになった。
努力の「費用対効果」を配慮すれば、競争における相対優位を得る方法は一つしかない。
それは同学齢集団(競争相手)全体の学力を低下させることである。
黙って勉強して、自分一人の学力を向上させる努力は自分にしかかかわらないが、教室で私語し、立ち歩き、学級崩壊を達成すれば、クラス全員の学習意欲を損ない、動機付けを傷つけることができる。
「自分の学力を上げる」よりも、「他人の学力を下げる」方が圧倒的に費用対効果がよい。
競争における相対優位を「目的」にすれば、子供たちは必ずそのような合理的判断に導かれる。
そして、現に導かれた。
子供たちの学習意欲と動機付けを阻害しているのは、学ぶことそれ自体には何の意味もなく、意味があるのは競争と選別であるというイデオロギーそのものである。
と述べる。たしかに、これは大筋としては間違っていないのだろう。少し前にネット上で話題になったように、学問外的な有用性を超えて「勉強」に熱中するような人は却って「勉強」オタクとして蔑まれるという傾向もある*1。但し、これは専ら〈日本的〉といえる現象でもないだろう。また、「教室で私語し、立ち歩き、学級崩壊を達成」するガキが(マジで)「同学齢集団(競争相手)全体の学力を低下させる」陰謀を企んでいるということはリアリティに欠ける。ぶっちゃけた話、〈動物〉に陰謀は不可能だ。
学力低下をもたらした元凶として内田氏が糾弾する勉強観においては、勉強は勉強外の目標に対する手段として位置づけられることになる*2。手段−目的連鎖といえば、マートンアノミー論(『社会理論と社会構造』)*3マートンによれば、アノミーは(社会的に正当化された)目標と(社会的に正当化された)手段との自明な連鎖が自明ではなくなったときに起こる反応だということになる。例えば、強盗は金を稼ぐという(社会的に正当化された)目標の、社会的に正当ではない手段による追及。まっとうな労働や商売で金を稼ぐという(社会的に正当化された)目標と手段の連鎖の自明性が崩れれば、さらにまっとうな労働や商売で金を稼ぐことはできないというふうに(社会的に正当化された)目標と手段の連鎖に対する否定的な判断が広まれば、(強盗をやるという人はやはり稀だろうが)社会的に正当ではない手段による目標の追及がより顕著になるというのはわかりやすい道理だ。しかし、アノミーはそれだけではない。(社会的に正当化された)目標のリアリティが希薄になり、遂には放棄されるということもある。異性にモテる人とモテない人との格差の増大という状況に対しては、恋愛や結婚や性愛という(社会的に正当化された)目標の放棄という反応が起こる可能性があり、実際に起こっている*4学力低下問題にもそれは当て嵌まらないだろうか。勉強すれば将来いいことがあるというルアーが子どもを勉強、さらには学校的秩序に繋ぎ留めておくルアーとして機能しないこと。
社会理論と社会構造

社会理論と社会構造

また、内田氏が「英語」について専ら語っているので、英語に限定して、学力低下(昔からの話だとすれば学力停滞)の原因を考えてみれば、そのひとつは(内田氏もいっていた)文化産業の「国内市場」問題だろう*5。つまり、外国語ができなくとも、労働、娯楽、教養において全然用が足りるということ。そのような状況では、英語のみならず外国語の習得の目標としての価値は低下する。
なお、ここに書き連ねたことはたんに理論的な可能性の話にすぎなく、実証的な根拠に基づくものではない。

ところで、http://blog.tatsuru.com/2009/01/27_0907.phpは、三上治三上寛を取り違えた話。

*1:See http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1 also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090113/1231812154

*2:勿論、手段−目的連鎖は(原理上)無限に続く。そして、〈役に立つって何の役に立つの?〉という問いには誰も答えられない。

*3:デュルケームのいうアノミーと混同すること勿れ。デュルケームアノミー論については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070112/1168571361も参照されたい。

*4:マートン命名によれば、「逃避主義」。ここではマートンのいう「儀礼主義」については言及しなかった。

*5:http://blog.tatsuru.com/2009/01/05_1110.php See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090108/1231386781 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090109/1231531269 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090130/1233314378