「庶民」?

麻生太郎「首相の1日の日程は、公務後、帝国ホテルやホテルオークラなどのバーやラウンジに寄ってから私邸に帰るという形がほぼ定着している」(『読売新聞』)ことに対して、批判が出ているそうな。読売の記事に曰く、


こうした首相の姿勢に、民主党簗瀬進参院国会対策委員長は22日の記者会見で、「本当の庶民の心は分からないのではないか」と指摘。社民党の福島党首も、「首相は毎晩、とても高いところで食事している。庶民感覚からものすごくかけ離れている」と述べた。公明党幹部も同日、記者団に、「国民にいい印象は与えない」と語るなど、与党内からも懸念の声が出ている。
これに対する黒川滋氏のコメント;

責任の大きい公人とは言え、アフターファイブはあるし、帝国ホテルとはいえどもバーで誰と飲んでどうだ、というのだろうか。つまらない首の絞めあいやっているから、権力機構から集まってくるどうでもいいような情報で野党議員は立ち往生するのではないか。

それとこういうことを当たり前にやる風習ができると、野党も政権取ったらやられる、ということだ。その覚悟はあるのだろうか。庶民という言葉を持ち出せば何だって贅沢と言える。
ひきこもりがちの小沢党首についてうんぬんしないが、鳩山由紀夫だって、福島みずほだって、ホテルのバーに行かないほどの庶民とは思わない。ふたりとも社会運動家が適度に党に圧力かけてくれるから庶民感覚を失わないだけだろう。麻生氏も元炭鉱城下町で生活保護受給者相手の選挙区なのだから、その程度の庶民感覚は持ち合わせていると思う。少なくとも私は麻生氏が大臣だったときの政府交渉に機関紙の取材で入り、交渉前の冗談話を聞いた限りでは、庶民に通じる感覚は持ち合わせていると思う。

相対的な、共通の価値のない言葉で政治家は非難の応酬をすべきではない。私的な生活とみなされる部分で非難の応酬をすべきでない。そのバーで行われている密約があってそれが大事なら、バーに行ったことではなくてその話の中身を非難すべきだろう。
つまらないことを言い合っている間に、野党の問題提起能力の水準の低さに、国民は飽き飽きしてしまう。野党応援団として、それは最悪の事態だと思っている。
http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2008/10/1023-fae7.html

たしかに、「ホテルのバー」=「庶民の心がわからない」というのは「論証不可能」である。ところで、値段からいえば、「ホテルのバー」で呑むことは歌舞伎町のバーとかで呑むより高いということはないと思う。何よりも会計が明朗であって、麦酒1本で万札が何枚も飛ぶということは絶対にない。
ところで、「庶民」という言葉って何か。大衆には侮蔑的なニュアンス(或いは〈上から目線〉)があり、民衆は左翼臭い。「庶民」というのは、イデオロギー的に無難というか、左右から文句が来ないというか、そういう意味で、イデオロギー的な言葉なのか。