「荒廃」など

『産経』の記事;


【集う】「道徳教育をすすめる有識者の会」発足記念の集い(8日、東京都港区の虎ノ門パストラルホテル)
2008.10.9 22:49

 

 日本人は何を失ってしまったのかを確認する2時間だった。

 「感動できる美しい話を子供に伝え、『徳目』を教えることが道徳教育だ」。会の代表世話人である渡部昇一上智大名誉教授は、会場を埋めた約500人の参加者にそう呼びかけた。

 子供を一人前に育てるには何が必要か。現在の道徳教育にはしつけや人生訓、生きる指針が欠けていると訴えた。だからこそ、平成22年秋をめどに中学生向けの道徳教科書を作成し市販すると意気込みをみせた。

 会には保守系有識者約160人が世話人や賛同者に名を連ねる。この日も、岡崎久彦・元駐タイ大使や中山成彬・前国土交通相石井公一郎・元ブリヂストンサイクル社長、漫画家のさかもと未明さんと多士済々がそろった。安倍晋三元首相からも会の発足を祝うメッセージが寄せられた。

 3人のパネリストは三者三様の道徳観を披露。「ヤンキー先生」として知られる義家弘介参院議員は、携帯電話の登場以降、子供は有害な情報に直接さらされていると指摘。「道徳は子供を健全に育て、守るためのもの」と語った。日本バレーボール協会名誉会長、松平康隆氏も「今の日本はルールさえ守られていない」と厳しい。

 ともすれば重くなるムードを和らげたのは服飾評論家、市田ひろみさん。「昔は親だけやなく、近所のおっちゃんも怖かったもんです」とはんなり話し、笑いを誘った。それでも「今の子供ががまんできないのは親が教えないから。道徳は人に迷惑をかけない生き方のルール」と引き締めた。

 誰の言葉からも日本人の心の荒廃への危惧(きぐ)がのぞく。コーディネーターの八木秀次日本教育再生機構理事長は「日本人の劣化」と表現、「社会を建て直すには学校の道徳教育から始めるしかない」と締めくくった。(福田哲士)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081009/edc0810092255005-n1.htm

特にコメントはないけれども、「中山成彬・前国土交通相」のあの振る舞いは「道徳」的だったのかどうかという議論はなかったのかしら。そういえば、中山成彬が「アインシュタインの予言」*1の信者だということを知る*2。それから、松平康隆ってまだ生きていたのね。
小倉秀夫氏のコメントを引用しておく;

どうも我が国の保守系の方々を見ていると,「道徳」というのは自らが守るべき規律ではなく,他人,とりわけ自分よりも弱い立場にいる人々に押しつけたい規律を指すものと解されている節があるわけですが,「日本の伝統」といった場合にそれを江戸時代あたりまでさかのぼって考えるとすると,道徳的規律というのは,むしろ上の方の立場にいる人々ほど守らなければいけないものとされていたのではないかと思ったりなんかします。自らは守る気がない規律を自分より弱い立場のものに押しつけるようになったのは,「戦陣訓」あたりからなのでしょうか(私は,世界史選択だったので,詳細を存じ上げませんが。)。http://sankei.jp.msn.com/life/education/081009/edc0810092255005-n1.htm 
「戦陣訓」に関しては、東條英機が「自らかの*3「戦陣訓」を発布したにも拘わらず、自決し損ねて、自ら「生きて虜囚の辱を受け」てしまったことは皮肉といえば皮肉」*4と書いたことがあった。さて、これはいい加減な記憶に頼っているので出典を示せとか言われても困るのだが、太平洋戦争中に米軍などの捕虜になった日本兵は何でもかんでも包み隠さず供述してしまう傾向があったという。これは日本兵が道徳的でなかったということではなく、戦争捕虜には黙秘権が国際法上保障されているということを教えられていなかったからだろう*5

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080812/1218474669

*2:http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/741849/ http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081006/1223282420

*3:「かの」は消し忘れだと思う。引用に際して、抹消しておく。

*4:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050820

*5:将校には教えられていたので、捕虜になった将校の多くは黙秘権を行使したという。