「やる気」と「能力」


少なくない学生たちにおいては、「能力がない」と思われるくらいなら「やる気がない」と思われる方がマシだと思っているフシがある。だから、実際わからない場合には、「わかるつもりがない」という不真面目さアピールに走ることは十二分にありうる。「やる気がない」と「能力がない」の境目はそう簡単に判別できるようなものではなく、「やる気がない」を切り捨てるならば、それは「能力がない」のを切り捨てることになるのと、結果的には同じことになる。

 しかも、切り捨てた側には、「あの子は、やる気がなかったのでどうにもならなかった」という主観的判断のみが残り、後で反証されることがほとんどありえない。
http://www.mojimoji.org/adiary/0224#p1

社会心理学に、帰属理論とマクレランド流の達成動機論を組み合わせたlearned helplessnessという概念があって*1、それは例えば波多野誼余夫、稲垣佳世子『無気力の心理学』とかにも紹介されている。失敗を自分の能力に帰属すると、(〈預言の自己成就〉的に)無能力が事実化して無気力になり、努力(の不足)に帰属すればそういうことはないというものだ。上に引いた一節は、このlearned helplessness論への反証というか、心理学という方法の限界を示すものだろう。或いは、learned helplessness論が流行った1970年代から80年代前半と21世紀初頭との差異。
無気力の心理学―やりがいの条件 (中公新書 (599))

無気力の心理学―やりがいの条件 (中公新書 (599))