「努力の尊さを殺したのは、教育や文化などではなく不況の体験」http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110218/1298015404
Paola Giuliano & Antonio Spilimbergo “The long-lasting effects of the economic crisis” http://voxeu.org/index.php?q=node/4019
を紹介している。
Paola Giuliano & Antonio Spilimbergoのテクスト、社会学者ではなく経済学者の作品であるにしても、参考文献に社会心理学や社会意識論の先行研究がないのはどうよとは思う。しかし、ここでの主旨、或るライフ・ステージにおいて不況を経験した人は「努力」によって成功しようという動機付けが弱められ、「成功」の原因を「勤勉」よりも「運」に帰属する傾向が強くなるというのは、まあ納得できる。社会学的な理屈を少し捏ねてみる。「勤勉」はいい(或いは逆に、怠惰は悪い)を含むあらゆる信念や知識、究極的にはそれらの総体である文化的世界がもっともらしい(plausible)ものとして維持されるには、常にそれらがplausibleなものとして確証され続け、社会のメンバーがそれを納得している必要がある。科学的事実について、常に反証を反証するという仕方でその〈真〉が維持され続けるように(See Peter L. Berger The Sacred Canopy, Chapter 2 “Plausibility Structure and Legitimation”)。青年期が不況期だった人の場合、よく聞く話は〈「努力」や「勤労」によって成功しました〉というサクセス・ストーリーではなく、逆に〈「努力」してても「勤労」であっても事業が潰れました、失業しました〉という失敗物語の方が耳に入って来やすいだろう。つまり、「努力」や「勤労」の効用に対する〈反証〉ばかりが入ってくることになる。かくして、「努力」や「勤労」といった徳目のもっともらしさは低下する。ただ、別のことも考えられる。欲求水準を下げることによって、「努力」や「勤労」のもっともらしさは(反動的に)維持、さらには強化されうる*1。ここでは、「成功」じゃなくて、もっとささやかなこと、例えば辛うじて首が繋がっていることの原因が「努力」に帰属される。これはかなり〈必死〉でもあるので、当然ながら負けた者への鷹揚や寛容*2は縮小する。昨今の「努力」言説というのは多分こっちの方だろう。ところで、「努力」のもっともらしさ(plausibility)の低下と「運」のもっともらしさ(plausibility)の上昇というのは既にバブルの頃に見られたよ*3。
The Sacred Canopy: Elements of a Sociological Theory of Religion
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*1:これについては、準拠集団を巡るマートン(『社会理論と社会構造』)の議論を参照すること。
*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110215/1297786787
*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101220/1292781372
*4:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100527/1274940938 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071123/1195785068
*5:endowmentを「要件」と訳すのは推奨できない。