鈴木二郎

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社会人類学者の鈴木二郎氏が亡くなられたことを、久しぶりに読んだ粟津賢太氏のblogにて知る。鈴木氏は粟津氏の師匠に当たる。
1997年の創価大学最終講義の際に粟津氏が書いた「鈴木二郎先生 最終講義講演会の報告」から(但し、誤字はそのまま);


先生は,参加者への謝辞を述べられた後,本学で教鞭を執られることとなった いきさつなどに若干触れられた。また,大学の社会的意義とそこに存在する危険性 を指摘された。大学はその他の義務教育の場とは違い,研究・教育の場であって, それゆえ思想・表現の自由が保障される場である。しかしながら,医師の誤診,裁 判官の誤判,マスコミの誤報と質的には同じことが大学の場にもあることを指摘さ れ,また,それを避けるために世界の各大学で採られているシステムについて紹介 された。自分を取り巻く社会的状況に流されずに,信念の道を進むことは難しいことを指摘された。そのためには常識に安住しないことが大切である。宗教には,一 面では安住の地を与えてしまい,人は固定観念にとらわれてしまう面がある。反面, 宗教は,既成の権威や常識に毅然として戦いを挑む信念を啓発することもあること を述べ,御自身が直接目にしてこられたアーミッシュ・メノナイトの共同体やキリ スト教による良心的徴兵拒否の事例に簡単に触れられた。その後,第二次大戦中に とられた自らの行動について語られた。

先生は,大戦中,戦争に反対する同志たちと図り,何としても徴兵を拒否する ことを誓い合ったという。そして,同士と励ましあい,さまざまな方法――徹底的 な断食や完全なる睡眠の拒否などの運動――で不参加を勝ち取られた。中には迫害 を受け,帰らぬ人となった者もいたという。良心的徴兵拒否といえば,我が国では 日本灯台社の事例があまりにも有名であるが,別の組織として,御自身も三度に渡り徴兵を拒否された。最後の時には,同士と連携を取る時間的余裕もなく,直々に 徴兵を拒否する旨を当局へ伝えた。自分は平和主義者であり,今回の戦争に参加することは出来ない。それゆえ監獄へ収容されることも厭わない,と。その時に,御 自身の胸中に鳴り響いていたのは,かつて読んだ小説の主題であったという。
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